第1回目(11)2011年5月10日-20日

陸前高田の地図が変わった

 5月19日、民宿「堀新」を出発すると、唐桑半島南端の御崎へ。御崎神社を参拝すると、遊歩道を歩いて岬の突端へ。灯台の先には、黒色粘板岩の岩場が幅30メートル、長さ100メートルにわたって海に突き出ている。「八艘曳」と呼ばれる岩場で、御崎神社の祭神が8艘の船を従えてこの岩に上陸したという。ここはまさに「御崎」なのだ。

 唐桑半島から国道45号に戻ると、岩手県境に向かっていく。その途中で大理石海岸に立寄った。リアス式海岸の大理石が白く光り輝いている。

 ここの岩井沢漁港では、けっこうな数の漁船を見た。大理石海岸では、それほど大きな被害を受けなかったようだ。

 県境を越えて岩手県に入り、陸前高田へ。

 陸前高田の町並みを目の前にする気仙中学校でビッグボーイを停め、気仙川の対岸に1本の松の木を見る。

 今回の大津波で陸前高田の中心街は全滅した。それのみならず高田松原の7万本あまりの松も根こそぎ倒された。堤防も破壊された。すさまじいばかりの津波の破壊力だが、その中にあって奇跡的に残ったのが、この松の木なのである。

 気仙川にかかる国道45号の気仙大橋は落下した。そのため気仙川沿いに大きく迂回しなくてはならなかった。

 大船渡線の陸前矢作駅まで行ったが、その近くまで大津波は到達した。海岸から7、8キロという信じられないほどの広いエリアが大津波に飲み込まれたのだ。

 国道343号→国道340号で陸前高田の中心街に入っていく。

 国道の信号はすべて消え、岩手県警のみならず栃木県警や千葉県警、福井県警…のパトカーが出て交通整理をしていた。

 大津波に破壊された陸前高田の光景には、もう言葉もない。ここでは2000人以上もの死者・行方不明者を出したが、この光景は日本の災害史上でも空前絶後の惨状。ここまでやられてしまうものなのか…。

 国道45号に出た。

 1軒だけポツンと残った残った高層の「キャピタルホテル」の前でビッグボーイを停めたが、1階を突き破った大津波のすさまじさには声もない。道の駅「高田松原」も大津波に直撃された。国道45号沿いの5階建の高層住宅は4階まで被災した。
「日本三大松原」に次ぐような高田松原は消え、三陸海岸有数の海水浴場も消えた。陸前高田の地図が変わってしまった。