30年目の「六大陸周遊記」[089]

[1973年 – 1974年]

アメリカ編 2 ニューヨーク[アメリカ]→ ピッツバーグ[アメリカ]

ヒッチハイクの楽な国

 1974年10月7日、昼前にニューヨークを出発。メキシコ国境までの5000キロのヒッチハイクがはじまった。ニュージャージー州からペンシルバニア州へ。

 アメリカでのヒッチハイクは信じられないほど簡単で、次から次へとのせてもらった。1ヵ所で長く待つこともなく、夜中でも乗せてもらえたし、女性に乗せてもらったこともある。

 その2年前、1972年の「世界一周」ではアメリカの全州、50州をバイクでまわったが(正確にいうと49州。ハワイ州はバス)、そのときはアメリカがこれほどヒッチハイクが楽な国だとは思わなかった。

 というのはヒッチハイカーが乗せてくれたドライバーを襲って金品を強奪したり、その反対に車に乗せてあげたドライバーがヒッチハイカーを襲ったり…といった事件が相次ぎ、アメリカでのヒッチハイクはきわめて難しいと聞いていたからだ。

アメリカの空気が一変した!

 また、この2年間の歳月が、アメリカの空気を一変したことにも気がついた。

 1972年に来たときは、ベトナム戦争の末期。アメリカは抜き差しならない泥沼状態にあり、建国以来、はじめて迎える敗戦必至の情勢にあった。

 アメリカから見れば猫の額ほどのインドシナ半島の片隅に、膨大な兵力と巨額の費用を投入し、それでもなおかつ敗れさろうとしていた。これは20世紀をリードしてきたと自負するこの国にとっては、あまりにも大きなダメージだ。

 それからまもなく和平が成立し、アメリカ軍はベトナムの戦地を引き上げた。そして2年後の今、アメリカの空気は深くえぐれた傷跡をいやしているような、そんな穏やかさを漂わせていた。2年前に来たときはあまりにも殺伐とし、退廃しきった空気が充満していたので、アメリカの空気が一変したことをよけいに強く感じたのだろう。

ベトナムからの帰還兵

 ヒッチハイクしていると、いろいろな人たちに乗せてもらうが、ベトナムからの帰還兵にも何度となく乗せてもらった。

 ベトナム戦争の話には「もうふれるのもいやだ」という人もいれば、「アメリカは何てバカなことをしたんだ。むざむざ多数の人命と大金を捨てて」と語気を荒くしていう人もいれば、「アメリカはどうしても共産勢力を阻止しなくてはならなかった。さもなければインドシナ全体が、さらには世界中が共産化されてしまう」とドミノ理論をふりまく人もいれば、「アジアのことはアジア人にまかせておけばいい。我々はアメリカのことだけを考えていればいい」というモンロー主義の人もいれば、「アメリカは世界の軍隊ではない」という人もいるといった具合で、なんともさまざまで、それがアメリカらしかった。

 しかし、誰もが一様に感じているのは、ベトナム戦争がアメリカの歴史を大きく変えたということだった。