[1973年 – 1974年]

赤道アフリカ横断編 8 ヤウンデ[カメルーン] → ガウンデレ[カメルーン]

苦しいヒッチハイク…

 カメルーンの首都ヤウンデは高原の町。すがすがしい空気に包まれている。しかし、それとは裏腹に、ぼくの体の調子は悪かった。微熱がつづき、夜、眠れない…。

 ナイジェリアのビザをもらうと、ハミドゥーさん一家に別れを告げ、北に向けて出発する。オバラからナンガエボコ、ベルトウアへ。

 その途中では歩いている最中に雨に降られ、逃げ場もなく、ずぶ濡れになった。

 その夜は街道沿いの村で泊めてもらったが、もう微熱どころではなく、ピューッと熱が上がった。タオルを水で濡らし、頭にのせる。体は疲れきっているのに、ウトウトするだけで、熟睡できないのだ。グッスリ眠れれば熱も下がるのに…と、いらだたしかった。

 それでも朝になると、いくぶん楽になる。

 出発。

 歩く。すこし歩くと、足は鉛のように重くなる。何台か車は通ったが乗せてくれない。寒気がして仕方ない。体の具合が悪く、2度、3度と道端にうずくまってしまう。

「しんどいヒッチハイクだなあ…」
 思わず、ため息が出てしまう。

イギリス人のポールとの出会い

 歩きはじめて3時間ぐらいたっただろうか、イギリス人のポールの運転する車に乗せてもらった。

 アメリカ製GMの小型トラック。まだピカピカの新車だ。久しぶりに聞くきれいな英語だ。

 西カメルーン(旧英領)のブニアで生まれたポールは、イギリスのロンドン大学とマンチェスター大学で2年づつ学んだという。ザイールに入ってからというもの、ずっとフランス語圏だったので、英語がなつかしい。そんな気分。

 ポールと夢中になって話し、しばらくは体の調子の悪いのも、忘れることができた。

 ポールは大学を卒業すると、GMに就職し、アメリカのGMの研修センターで1年間の講習を受けた。それを終えると、自分の故国、カメルーンに戻り、GMのカメルーンのディーラーで働いている。

 ポールの乗っている車はアメリカからコートジボアールのアビジャン港に送られ、そこからガーナ→トーゴ→ダホメ→ナイジェリアと通り、カメルーンに入った。アビジャンからカメルーンのヤウンデまで、何と、わずか4日で走ったという。ヤウンデで1日休養しただけで、800キロ北のガウンデレに向かったが、その途中でぼくを乗せてくれた。

 一面のサトウキビ畑が広がるバンジョでは、製糖工場に立ち寄っていく。ポールはそこに知り合いがいて、工場内を案内してもらった。

 北に延びる道は橋がお粗末。急に道幅が狭くなる。そのため橋での事故が多い。橋ですれ違う場合、どちらかが橋の手前で止まっていなくてはならないのだが、それがなかなかできないようだ。

 1台が川の中に落ち、もう1台が森の中に突っ込んだ事故を間近で見た。

 ベルトウアを過ぎ、夕方、ガロウア・ボウライに着く。中央アフリカとの国境の町。中央アフリカに行く大型トラックが何台も止まっていた。

辛い一夜…

 ガロウア・ボーライで1泊する。

 ぼくはポールの車の中で寝た。熱のせいでぐっしょり汗をかく。車の中では狭すぎるので、外に出た。地面に寝袋を敷いて寝たのだが、病気の体にはこたえた…。寒さを感じ、車の中に戻ろうとしたとき、「あ、しまった!」と声が出る。

 車のドアを内側からロックしてしまった。ポールはレストハウスで泊まっている。起こすのは悪いので、じっと我慢して地面の上で寝た。泣きっ面に蜂とはこのことだ。やがて雨が降り出す。もう寝てはいられない。あわててガソリンスタンドの屋根の下に逃げ込んだ。

トラブル発生

 夜明け前の午前4時、ガロウア・ボウライを出発。ぼくの体の具合はもう最悪…。かなり熱が高くなっている。

 ガソリンスタンドのあるメイガンガを通り、ガウンデレまであと6、70キロという地点まで来ると、雨に濡れたダートのツルツルの路面にスリップし、ポールの車は道を飛び出した。運悪くバッテリーも上がってしまい、エンジンがかからない。

 人を呼び、押してもらう以外に方法はない。その前に荷台の荷物を降ろしておこうと、電気冷蔵庫やガスレンジ、酸素ボンベ、オイルカンといったものをおろした。熱があるので重い荷物がこたえた。熱があることはポールには一言もいわなかった。

 そのうちに、通りがかったトラックやバスの乗客に助けられ、みんなで車を押して道路に戻った。さらにみんなの力を借り、車を押してエンジンをかけるのに成功。ピンチを抜け出し、ポールと手をとって喜び合った。

 ガウンデレに向けて出発。熱がますます高くなる。苦しい…。

 あたりが朦朧としてくる。

 ガウンデレまであと50キロの道標。その50キロの長く、苦しいことといったらなかった。

 ガウンデレは中部カメルーンでは一番、大きな町。ドアラ、ヤウンデからの鉄道も開通していた。そんなガウンデレに着いたときは心底、ほっとした。

 町の中心でポールの車を降り、何度も握手を繰り返して別れた…。