[1973年 – 1974年]
赤道アフリカ横断編 7 カメルーン国境[ガボン] → ヤウンデ[カメルーン]
カメルーンに入る!
ガボンとカメルーンの国境はンテム川という、大西洋に流れ出る川。密林の中をゆったりと、ゆうゆうと流れている。熱帯雨林地帯特有の水量の多い、川幅いっぱいに流れる川だった。
夕方、ガボン側からその日、最後のフェリーで対岸のカメルーンに渡った。そこではパスポートなどのチェックはない。10キロほど行ったアンバンに、国境事務所があるという。
夕暮れの密林の道を歩く。
アンバンまでは歩こうと思っていたが、日が暮れると、あっというまに漆黒の夜になってしまった。怖い…。あいにくの曇り空で、道が見えないのだ。晴れていれば、月はなくても、星明かりですこしは見えるのだが…。そのうちに闇の中からギュッと太い手が伸びてつかまれるような錯覚にとらわれたり、グシャッと巨大な足で踏みつぶされるような錯覚にとらわれるようになる。
手のひらにはべっとりと汗がにじみ出ている。痛いくらいに、ギューッと手を握りしめているからだ。
密林がこのまま際限なくつづくのではないか、このまま闇の世界から一生、逃れられないのではないかといった恐怖感に襲われる。
そんなときに、集落の明かりが見えてきた。
「助かった!」
人がいるということで、どれだけほっとした気分になったことか。
アンバンまでは夜通し歩き通すつもりでいたが、気が変り、その村でひと晩、泊めてもらった。
翌朝、村人たちに見送られて出発。アンバンまで歩く。
アンバンは小さな町だが、この町で入国手続きをする。アンバンは2つの国、ガボンと赤道ギニアに近い。
首都のヤウンデへ
国境から首都ヤウンデまでは300キロほど。
その間のヒッチハイクは楽だった。エアボロを通って、夕方にはヤウンデに着くことができた。
エアボロの町外れからヤウンデまで乗せてくれたのは、ハミドゥーさん。ヤウンデに着くと、彼の家に泊めてもらった。ナイジェリアのビザをヤウンデでとらなくてはならなかったが、ナイジェリア大使館に申請し、発給してもらうまでの4日間、ハミドゥーさんの家で泊めてもらったのだ。
ハミドゥーさんはその間、ヤウンデの北30キロほどの、オバラという町に連れていってくれた。オバラまでは舗装道路だったが、その途中で、前の日に起きた交通事故の現場を通った。
思わず目をそむけたくなるような惨状。バスとトラックが衝突したのだが、バスの乗客12人が死亡したという。
カメルーンの長距離バスはマイクロバスを使っているが、トラックと正面衝突したそのバスはグチャグチャになり、まったく原型をとどめいなかった。ガラスの破片が一面に飛び散り、路面にはおびただしい血液の跡がそのまま残されていた。
アフリカではカメルーンに限らず、すこし道のいいところだと、このような重大事故をよく見かける。運転手は車の性能いっぱいの速度で走るからだ。