30回目 2025年3月8日

一軒宿の蒲庭温泉「蒲庭館」

 復興道路の県道391号で楢葉町から富岡町に入ると、JR常磐線の富岡駅前でバイクを止めた。富岡駅の駅舎もホームもすっかりきれいになっている。駅の近くには富岡町の慰霊碑がある。

 富岡からは国道6号で大熊町に入り、爆発事故を起こした東電福島第1原発の入口を通っていく。大熊町から双葉町に入ると、国道288号で双葉町の町中へ。震災以降に廃校になった双葉高校の校庭を歩いた。荒野と化した校庭。ここは渡辺哲さんの母校だ。

 東電福島第1原発の爆発事故の影響で双葉高校、浪江高校、浪江高校の津島分校、双葉翔陽高校と、双葉郡内の県立高校はすべてが廃校になった。

 JR常磐線の双葉駅は新しく建替えられ、駅は町の中心になっている。駅前には新しい双葉町役場が完成した。郵便局も出来た。

 双葉から国道6号で南相馬市に入り、小高では陸前浜街道(県道120号)沿いにある「おれたちの伝承館」を見学。ここは写真家でありライダーの中筋純さんの美術館。東日本大震災の原発事故の現状をアートで表現している。

 小高からは海沿いの県道260号→県道74号を行く。

 南相馬市から相馬市に入り、17時、蒲庭温泉の一軒宿「蒲庭館」に到着。

 まずは温泉に入り、湯から上がると、タイやイシガレイの刺身、タラ鍋などの夕食。海鮮料理を食べながらの宴会だ。これが楽しい。若女将は地酒を差し入れしてくれた。

 ところで、我が「鵜ノ子岬→尻屋崎」の第1回目に出発したのは、東日本大震災から2ヵ月後の2011年5月11日のことだった。

 南相馬市から相馬市にかけての太平洋岸では、あまりにもすさまじい被害に目を覆いたくなるほど。堤防が粉々に砕けているところもあった。かつては100戸、200戸とあった集落が大津波に飲み込まれて跡形もなく消えていた。

 そんな中で奇跡の現場があった。一軒宿の蒲庭温泉「蒲庭館」だ。ここは震災直後に営業を再開。夕方の6時過ぎに飛び込みで行ったのだが、心やさしい若女将は部屋をあけて泊めてくれた。夕食も用意してくれた。ありがたかった。というのは日本中からやってきた仮設住宅建設の業者のみなさんが泊まっていて満室だったからだ。

 若女将の津波の話は衝撃的。ちょうどその時は高台にある小学校での謝恩会だったという。そこからは巨大な「黒い壁」となって押し寄せてくる大津波が見えたという。巨大な「黒い壁」は堤防を破壊し、あっというまに田畑を飲み込み、集落を飲み込んだ。多くの人たちが逃げ遅れ、大変な数の犠牲者が出てしまった。

「地震のあと、大津波警報が出たのは知ってましたが、どうせ5、60センチぐらいだろうと思っていました。まさかあんな大きな津波が来るなんて…」

 蒲庭温泉の「蒲庭館」も我が定宿で、今回が第21回目の宿泊になる。

2011年5月11日の写真