ニュージーランド南島 2011年〜2012年
先導は「車イス・ライダー」
道祖神の「賀曽利隆と走る!」シリーズの第16弾目は「ニュージーランド南島」だ。
2011年12月29日、中部国際空港で参加者の皆さんと落ち合った。北陸最大のバイクショップ「バイク市場きゃぷてん」の中村進社長と奥様の雅美さん、お店のお客さんたち、ホンダのXR250で全行程3万キロの「日本一周」を成し遂げた藤枝(静岡)の西條美樹さんら総勢15名の多士済々のメンバーだ。
出発点はニュージーランド南島の中心地のクライストチャーチ。「シティー・モーターサイクル・レンタルズ」に行くと、店の前には我々の乗るバイクがズラリと並んでいた。
各人、それぞれの好みのバイクにまたがりエンジンをかける。カソリ号はスズキのV−ストローム650だ。
我々を先導してくれるのは「車イス・ライダー」のブリット。誰の助けも借りずに自分一人で愛車のスズキGSX1400に乗り、車イスの車輪をバイクの後部に置き、車イス本体をサイドカーにのせる。リアブレーキもギアチェンジも手動で操作できるようになっている。
こうして15台のバイクとサポートカー1台でクライストチャーチを出発。国道1号を南へ。ブリットは見事な走りでコーナーでの速さは目を見張るほど。オアマルの町まで先導してくれた。
クライストチャーチから289キロを走ってオアマルに到着。「ハイフィールド・ミューズ・モーテル」に泊まり、オアマルの町を歩いた。オアマルは石灰岩の「オアマルストーン」の産地で知られているが、中心街にはオアマルストーンで造られた旧郵便局やナショナル・バンク、セントルーク教会などの歴史的な建造物が残されている。
オアマルの中心街にあるレストランで夕食。オアマルストーンで造られた趣のある建物。ここではまずはグラスビールをキューッと飲み干し、メインディッシュの「ラムのすね肉」を食べた。骨つきのやわらかなうまい肉だ。
夕食を終えると我々は「ブルー・ペンギン・コロニー」に行く。ブルー・ペンギンは体長がわずか3、40センチほど。世界で一番小さなペンギンとして知られている。「ブルー・ペンギン・コロニー」はその営巣地で、12ドル(約828円)の入園料を払って「ブルー・ペンギン・コロニー」に入る。観覧席に座り、暗くなった海から戻ってくるブルー・ペンギンの群れを見る。全部で87羽のブルー・ペンギンが陸に上がったという。
モエラキのボルダー
オアマルを出発するとカカヌイ海岸沿いの道を行く。そして太平洋岸の名所の「モエラキ・ボルダー」へ。まずはビジターセンターで「モエラキ・ボルダー」がどういうものなのかの説明を聞き、海岸へと降りていく。砂浜を歩いていくと、まるで巨大な恐竜の卵のような真ん丸な岩を見る。これがモエラキのボルダー。ボルダーは「丸石」を意味する。その先には10個以上の真ん丸な岩が固まっている。これらの丸石は波によって岩が寝食されたものではなく、海底に沈殿する化石などに海中の鉱物の結晶が付着し、6000万年もの年月をかけて現在のような形に生成されたのだという。
ニュージーランド南島第2の都市、ダニーデンに到着。スコットランドからの移民によって造られたダニーデンの町にはスコットランド風の建物が残っている。1900年代の初頭に建てられたダニーデン駅は堂々とした建物。東京駅にも負けず劣らずといったところで、当時のこの町の繁栄ぶりが偲ばれた。1860年代、この地方で金鉱が発見され、ゴールドラッシュに沸きかえった。ダニーデンはその中心地で、ニュージーランドでも最大規模の人口を誇る町になった。ダニーデン駅はその象徴なのだ。
ダニーデン駅のガラ〜ンとした長いホームを歩いた。今ではすっかり鉄道が衰退してしまったことがよくわかる光景。要塞を思わせるような大きな駅舎だけに、それが何ともいえない哀しみを感じさせた。
「世界最速のインディアン」
ダニーデンを出発し、インバーカーギルに到着。映画「最速のインディアン」のマシンが展示されているというストアに行く。だが残念ながら新年で店は閉まっていた。「トレードZゾーン・インダストリアル」というストアで、入口には「Come & See」のポスター。それには「店内に世界最速のインディアン」と書かれ、世界最速マシンの写真が飾られていた。
「世界最速のインディアン」は1000cc以下のオートバイの地上最速記録保持者バート・マンローの実話に基づいた映画。バート・マンローは1899年にインバーカーギルで生まれ、60代も後半になってから、愛車(オートバイ)の1920年型インディアン・スカウトでアメリカ・ユタ州のボナビル・レーストラックを走り世界最速記録に挑んだ。
そして1962年、850ccエンジンで288キロの世界記録を樹立。その後、920ccエンジンで305キロを達成。こよなく故郷を愛したバート・マンローは1978年、インバーカーギルで亡くなった。78歳だった。
そんな彼が世界最高速の高速走行の練習をしたのがインバーカーギル南西10キロほどのオレッティー・ビーチだという。
バート・マンローが世界最速記録を樹立したボナビル・レーストラックは、ぼくにとっては懐かしの地。1972年にスズキの380ccのGT380で走った。
ボナビル・レーストラックはグレートソルトレークの塩原部で、真っ平な塩原がはてしなく広がっている。そこをアクセル全開で走り、時速100マイル(約160キロ)を突破した。強烈なスピード感。塩がまるで水しぶきのように飛び散った。そんなシーンが、ニュージーランドのインバーカーギルで蘇ってくるのだった。
インバーカーギルから南に30キロ走ると、国道1号の終点のブラフに到着。
ニュージーランドを縦断する国道1号は北島北端のレインガ岬から始まる。そこから南下し、オークランドから首都ウエリントンへ。北島と南島を分けるクック海峡をフェリーで渡り、クライストチャーチ、オアマル、ダニーデン、インバーカーギルと通り、南島南端のブラフに至る。ブラフの町中を通り過ぎたブラフ岬で道は尽きる。
ブラフ岬には世界各地への方角と距離を示す表示板が立っている。南極までは4810キロ、東京までは9567キロ。東京の下にはなぜか熊谷(埼玉県)までの9632キロが表示されている。
社長が来ない
インバーカーギルから85キロのラムズデンに到着。このあたりは南緯45度。真夏なので夕方の6時を過ぎてもまだ十分に明るい。ここで小休止。町をプラプラ歩いた。ラムズデン駅の駅跡が心に残る。鉄道の廃線跡には何ともいえないもの哀しさが漂う。
ラムズデンでは20分ほど停まっていたが、「バイク市場きゃぷてん」の中村社長がまだ到着しない。社長はバイクは常にエンジン全開で走るものと決め込んでいるような人なので、遅れるはずはないのだが…。
何かマシンにトラブルがあったのではないかと心配になってくる。乗り方の上手な人なので、事故を起こすことはないと思うのだが…。そんな中村社長が無事、ラムズデンに到着し、ホッとした。
何と中村社長、対向の覆面パトカーにスピード違反で捕まったのだ。ニュージーランドやオーストラリアでは、パトカーや覆面のパトカーは対向車をも取り締まる。中村社長はそれにやられた。覆面のパトカーはすばやくUターンし、中村社長を猛スピードで追跡して捕まえた。何と180キロで80キロオーバー。やるもんだ中村社長!
ニュージーランドでは40キロ以上のスピード違反で捕まると、免許証が取り上げられる。そこで中村社長は多分、必死になって警官に食い下がったのだろう、信じられないことに40キロ、まけてもらい、140キロで40キロオーバーということになった。40キロオーバーの罰金は400ドル(約2万7600円)。財布をあずかる奥様は「私は知らないわよ」といった涼しい顔をしている。
ラムスデンから80キロのテアナウに到着。この時間でもまだ十分に明るい。町の入口のカルテックスで給油し、我々の泊まる「ビレッジ・イン」へ。ここは開拓時代の町を再現したかのような造り。まずはレストランで夕食。焼肉のバイキング。ぶ厚い肉が食べ放題。グラスビールをおかわりしながら、「もうダメだ…」というまで肉をたら腹食べた。なんという贅沢。日本で食べる1年分の肉を食べたかのようだ。夕食後はほろ酔い気分で暮れなずむ町を歩き、テアナウ湖の湖畔に出た。この湖はニュージーランド南島最大。湖を吹き渡る風は冷やっとするほどの冷たさだった。
フィヨルドで幕の内弁当を食べる
テアナウから国道94号で世界遺産のミルフォード・サウンドに向かっていく。その途中では「ディバイド」という峠を越える。ディバイド峠を越えると山々は高く険しくなり、谷は深くなり、やがてホーマートンネルにさしかかる。トンネルは信号による一方通行。信州の和田峠の旧道のようなものだ。
国道94号の終点のミルフォード・サウンドに到着。ミルフォード・サウンドの「サウンド」は「入江」を意味するので、ミルフォード・フィヨルドといった方がより正確な表現になる。我々は青、白2色のクルーズ船に乗り込んだ。船内では日本風の「幕の内弁当」が配られた。さすが道祖神。芸が細かい。日本からはるかに遠い地の涯のようなフィヨルドで幕の内弁当を食べるとは…。
快晴の空を映してフィヨルドの海は青い。このあたりは年間の降水量が8000ミリを超えるという多雨地帯。日本でいえば屋久島のような所だ。そのような多雨地帯で晴天に恵まれるとは…。雨を覚悟していただけにうれしい。フィヨルドに垂直に落ち込む雪山、フィヨルドに流れ落ちる滝を見る。フィヨルド沿いに道はないので、クルーズ船はミルフォード・サウンドをめぐる唯一の方法。フィヨルドから外洋に出るあたりでUターンし、2時間ほどのクルージングを終えて桟橋に戻った。
大農園がつづく
我々はミルフォード・サウンドの後はニュージーランドの最高峰のクック山へ。右手にプカキ湖が見えてくる。湖越しに標高3754メートルのクック山を見た。この一帯はアオラキ・マウントクック国立公園になっている。アオラキとはニュージーランドの先住民、マオリ族の言葉で「雲を突き抜ける山」を意味するという。
クック山からクライストチャーチへ。ラカイア川を渡ると大牧場、大農園がつづく。
大牧場では家畜が羊から牛に変わっているのがよくわかる。大農園ではアメリカで見るような巨大な移動式スプリンクラーが広大な畑の隅々まで散水していた。
2012年1月4日17時、クライストチャーチに到着。我々は「シティー・モーターサイクル・レンタルズ」の前でバイクを停めた。ここで最後の記念撮影。全行程2200キロの「ニュージーランド南島ツーリング」が終った。
我々はクライストチャーチに来たときと同じ、「シャトー・オン・ザ・パークホテル」に泊まる。その夜はホテル近くの「ザ・ランニング・ブル」という店での飲み会。ビールでの乾杯を繰り返し、飲み会は大盛り上がり。酔いざましに外に出ると、夏とは思えないような冷たい夜風に吹かれた。その時、「あー、終ってしまった…」と、無性に寂しい気分を味わうのだった。
「ニュージーランド南島」は『カソリング』60代編で連載をしているので詳しくはそちらをご覧下さい。