シルクロード横断 2006年(3)
イラン入国、ビール風ドリンクで乾杯
2006年9月26日、トルクメニスタンの首都アシガバードを出発。コペトダク山脈の峠を越えてイランに入った。峠道を下り、山中を抜け出ると、広々とした盆地に入っていく。一面のブドウ畑。正面にはエルブルーズ山脈の山々が霞んで見える。
アシガバードから260キロのボジュヌルドで一晩、泊った。イラン入国を祝って乾杯したが、イスラム教国のイランではビールは手に入らない。そこでアルコール抜きのビール風ドリンクで乾杯したのだが、これがうまくない…。
夕食は町の食堂で。スープを飲み、サフラン入りのライスとミンチのカバブーを食べる。カバブーには焼きトマトがついているが、イランではトマトは焼くものと決まっている。それとヨーグルト。イラン人はヨーグルトをよく食べる。飲み物は「チャイ」。ミルクなしの紅茶だ。紅茶の中に砂糖を入れるのではなく、口の中に砂糖を入れて紅茶を飲む。こうしてイランの旅は始まった。
翌朝は夜明けとともに起き、町を歩いた。前方にはエルブルーズ山脈の山々が連なっている。黒衣の女性が歩いているが、手にはナン屋で買ったナンを持っている。エルブルーズ山脈の山麓は豊かな農地で大豆畑が広がっている。家々のまわりには木々が見られる。
町をひと歩きして宿に戻ると朝食。ナンにバター、チーズ、ハニーをつけて食べる。白いチーズは羊乳から作られている。イラン人はナンにハニーをつけて食べるのが大好き。
ボジュヌルドを出発すると、平地から山地に入っていく。山地を抜け出ると、今度はカスピ海沿岸の大平原に入っていく。左手にはエルブルーズ山脈の山並みがどこまでもつづいている。平原にブルーシートを敷いての昼食。サンドイッチを食べていると突然、黒雲がかかり、ザーッと雨が降ってきた。久ぶりの雨。キルギスの天山山脈以来の雨だ。
国境線の通る町「アスターラー」へ
ボジュヌルドから320キロのゴルガーンでは「アジンホテル」に泊まった。夕食はホテルのレストランで。サフラン入りの白いライスにニジマスのフライ。カスピ海沿岸の一帯では稲作が盛んでライスがよく食べられる。白いご飯を「チェロウ」という。そのほか「ポロウ」もよく食べられる。「ポロウ」というのはピラフのこと。中国の新疆ウイグルなどで何度となく食べたピラフはトルコ、イランからシルクロード経由で東へと伝わった。
カスピ海沿岸を走り、バーボルサルの町でカスピ海を見る。DR−Z400Sで波打ち際へ。しばらくは世界最大の湖、カスピ海の寄せては返す波を眺めた。カスピ海の北岸はロシアのボルガ川河口、東岸は中央アジアのカザフスタンとトルクメニスタン、西岸はロシアとコーカサスのアゼルバイジャンになる。
チャールース、ラシェットに泊まり、アゼルバイジャン国境のアスターラーへ。町中を国境線が通っている。町の南半分はイラン、北半分はアゼルバイジャンになる。
「う〜ん、たまらん!」
国境線を見ると興奮するカソリ。イランから国境を越えてアゼルバイジャンへ、さらにはロシアへと、カスピ海西岸のルートを北上したくなった。
アスターラーでは市場を歩き、今回の旅で一度は食べてみたいと熱望していた「キャビア」をついに手に入れた。100グラムで120USドル。さらにカンビールも手に入れた。これで夜が俄然、楽しくなった。
この日の宿泊地はアルダビール。標高1300メートルの高原の町。「ダリアホテル」に泊まり、町を歩いたあと夕食。麦入りスープを飲み、ライス&カバブーを食べた。そのあとは部屋でメンバーの菊池久さん、対比地良輔さんとの「キャビアパーティー」だ。ナンにキャビアをのせたり、カバブーと一緒に食べたり、ご飯と一緒に食べたり、日本の海苔に包んで食べたり…と、手を変え品を変えて食べた。その結果、「ナン・キャビア」が一番ということになった。100グラムのキャビアは3人で食べても十分なほど。アルコールが手に入らないイランなので、久しぶりに飲む缶ビールはうまかった。
翌朝は夜明けとともに町を歩いたが、アルダビールは歴史の古い町で、13世紀末に誕生したイスラム教神秘主義教団「サファービー教団」の発祥地として知られている。その生みの親、シェイフ・サフィーオッディーン(1251年〜1334年)の霊廟はこの町のシンボルになっている。
1501年、彼の子孫のイスマイールはシャー(ペルシャ語で王の意味)を名乗って、「サファービー朝」を建国。イスラム教シーア派を国教にした。16世紀に即位したアッバス1世(アッバス大帝)のもとで、サファービー朝は全盛期を迎える。
1597年、イスファハンを新たな首都に定め、アッバス1世自らが都市計画をつくった。その結果、広場を中心に宮殿や寺院、バザール、橋など壮大な町並みを造りだした。そんなイスファハンはシルクロードの一大中心地になった。
「キャラバンサライ」の残る峠を越えて
アルダビールを出発すると、トルコ国境に近いタブリーズへ。カスピ海の沿岸地帯とはガラリと風景が変わり、乾燥した、荒涼とした風景がつづく。
アルダビールから100キロほど走ると峠に到達。そこには18世紀に建てられたという「キャラバンサライ」(隊商宿)が残されている。
キャラバンサライというのはラクダや馬、ロバなどの背中に荷物をのせ、隊を組んで長い旅をつづけるキャラバンの泊まる宿。彼らにとってはオアシス。「サライ」(宮殿)のように見えたからなのだろう、いつしか「キャラバンサライ」といわれるようになった。シルクロードには、このようなキャラバンサライが30〜45キロぐらいの間隔であった。それが隊商が1日で移動できる平均的な距離だった。
当時の建物は旅人を癒す目的と同時に、商品の安全性を重視して建てられたもので、長方形をした頑丈な建物が大半だった。中庭があり、ラクダが一夜を明かす小屋の設備も整っていた。
そんな「キャラバンサライ」の残る峠を越え、峠道を下っていくと、右手にはイラン第2の高峰のサバラーン山(4811m)が大きく見えてくる。雄大な独立峰の火山で万年雪をかぶっている。
道路沿いの食堂でナンとゆで卵、トマトの昼食を食べ、タブリーズへ。
タブリーズの町が近づくにつれて乾燥した荒野に緑が見えてくるようになる。こうしてアブダビールから218キロ、イラン第3の都市タブリーズに到着。我々にはちょっと不釣合いなような「タブリーズ・インターナショナル・ホテル」に泊まった。ここはタブリーズでも最高級のホテルで4つ星だ。
まだ日は高く、たっぷりと時間があるので、シャワーを浴びて着替えると、タブリーズの町を徹底的に歩いた。タブリーズはイラン第3の都市。古来より、シルクロードの要衝の地として栄えてきた。ここはアジアとヨーロッパを結ぶ交易路の宿場町として、きわめて重要な役割を果たしてきた。
タブリーズの町の起源はサーサーン朝ペルシャ(224〜651年)の時代までさかのぼる。この町が一番、栄えたのは13世紀の頃。モンゴル軍の占領後、イル汗国の首都として繁栄を謳歌した。この町のシンボル、アルゲ・タブリーズはイル汗国の時代につくられた巨大な城塞。タブリーズは城郭都市だった。
野菜から金銀宝石まで並ぶ大バザール
「タブリーズ・インターナショナル・ホテル」からバザールに向かって歩く。すれ違う女性たちは黒いスカーフをかぶり、黒いズボンをはき、黒い上着を着ている。黒一色だ。
その道沿いではナン屋が目につき、2軒の店でナンづくりを見せてもらった。1軒の店は機械で制御されたガス炉で焼き、もう1軒の店では昔ながらのカマドで焼いていた。
そして大バザール(市場)に入っていく。
野菜売場や果物売場が並び、様々な日用雑貨を売る店が並ぶ。金細工、銅細工などの工芸品や宝石類、ペルシャ絨毯を売る一角もある。さすがシルクロード要衝の地だけあってバザールの規模は大きく、品ぞろえも豊富だ。
1334年、この地を訪れた旅行家のイブン・バトゥータは高価な金銀、宝石や香料があふれんばかりに並ぶ大バザールの様子に呆然として立ち尽くしたという。
イブン・バトゥータはモロッコのタンジールで生まれ、1325年のメッカ巡礼以降、約30年間にわたって西はイベリア半島から東は中国元代の大都まで、ユーラシア大陸とアフリカの各地を旅した。そんなイブン・バトゥータが驚いたくらいだから、タブリーズの繁栄はよっぽどのものだったのだろう。
バザールを歩きまわったあとは「アゼルバイジャン博物館」を見学した。ここには隣国アゼルバイジャンの民俗資料や考古資料などが展示されている。こじんまりとした博物館。トルコ国境のみならず、アゼルバイジャン国境にも近いタブリーズを感じさせる「アゼルバイジャン博物館」。さらにこの町はアルメニアにも近い。
日が暮れたところで、町の食堂で夕食にする。「大衆食堂」といった感じの店。まずは「ククテ」を食べる。タブリーズ名物の肉団子だ。それをナンと一緒に食べた。ナンには半分に切ったタマネギがついている。それをカリカリとかじりながら食べる。
ナン&ククテのあとはいつものようなライス&カバブー。
ライスは長粒米を湯取法で炊いた白飯でぱさついている。このぱさつきは、慣れてしまえばどうということもない。もうまったく気にならない。というよりおいしさを感じるほどだ。それが楕円形をした金属器に盛られ、羊のひき肉を串焼きにしたカバブーがのせられ、焼きトマトが添えられている。
飲み物は白く濁ったサワーミルク風のドゥーグで、ヨーグルトを水で薄め、自然発酵させたもの。食後にチャイ(紅茶)を飲む。砂糖のかたまりをチャイにつけ、チャイがしみこんでやわらかくなったのを口の中に入れ、それをかじりながら飲む。この飲み方も慣れてしまえばなかなかいいものだ。
食べ終わると夜の町をプラプラ歩き、「タブリーズ・インターナショナル・ホテル」に戻るのだった。