キャニング・ストックルート 2001年(2)
「ハロー、マイフレンド!」作戦
1996年にはスズキのDJEBEL250XCでオーストラリアを2周した。
7万2000キロを走り、1万3000キロのダートを走破した。
この時は「キャニング・ストックルート」も走りたかった。
ぼくが考えついた方法というのは「ハロー、マイフレンド!」作戦。キャニング・ストックルート南側のウィルナに着いたらキャラバンパーク(キャンプ場)に行き、キャニング・ストックルートに入っていく四駆に「ハロー、マイフレンド!」と声をかけ、彼らと親しくなり、車にガソリン、水、食料を積んでもらって一緒に走ろうという計画だ。
しかしウィルナに着いたのは10月も中旬になってからのことで、すでに夏が近づき、キャニング・ストックルートに入っていく車は1台もなかった。
キャラバンパークのおばちゃんには「1ヵ月、遅かったわね」といわれてしまった。
だが、そのくらいのことでは諦めるカソリではない。すぐさまキャニング・ストックルートの詳細な地図を広げ、単独で走破するプランを練った。
DJEBEL250XCの17リッタータンクを満タンにし、さらに2リッター、3リッター、10リッター、20リッターの4つの予備ガソリン用のポリタンを満タンにすると、全部で52リッターになる。燃費を1リッター25キロで計算すると1300キロは走れる。
これでは全コースを走破できないので、コースのほぼ中間点で大鉄山のあるニューマンに抜け、そこで給油する。これだと1200キロ、1200キロの合計2400キロで「キャニング・ルート」を走破できる。
しかし、「もし、失敗したら…」という恐怖感が大きなプレッシャーになり、ウィルナからキャニング・ストックルートに入っていくことはできなかった。失敗は即、死を意味するからだ。
ついに実現の時がきた
風間深志さんと「一緒に走ろう!」と計画をたててから30年にも及ぶ年月が過ぎ去った「キャニング・ストックルート計画」だが、それをついに実現させる時がきた。
「道祖神」のバイクツアー「賀曽利隆と走る!」シリーズの第6弾目で、キャニング・ストックルートを走ることになったのだ。
「キャニング軍団」の6人の参加者のみなさんと、2001年8月2日、西オーストラリアのパースに飛んだ。
そこからさらに北に1000キロのウィルナに飛んだ。
ウィルナの空港には我々をサポートしてくれるブライアンら、キャニング・ストックルートを知り尽くしている現地のスタッフが出迎えてくれた。
その夜はなつかしのウィルナのキャラバンパークでのキャンプ。夕食はブライアンが焼いてくれたぶ厚いステーキだ。我ら「キャニング軍団」はステーキにかぶりつきながら「キャニング・ストックルート」への期待に胸を踊らせた。
2001年8月4日、いよいよ出発。バイクはヤマハTTR250が6台とセローが1台。腕自慢のツワモノぞろいの「キャンニング軍団」なので、誰一人、セローに乗りたくはない。やむなくセローはカソリ用ということになったが、結論から先にいうと、セローは想像以上に連続する砂丘越えをよく走ってくれた。
ウィルナを出ると幅広の高速ダート。我ら「キャニング軍団」はトップスピードで砂塵を巻き上げて走る。先頭をブライアンが走り、そのあとを我々の7台のバイクがつづき、バイクの後ろには2台のサポート用のランドクルーザーが走った。
その幅広のダートからわずかに入ったところに「WELL1」がある。
「WELL」は井戸のことで、まさにキャニング・ストックルートのキーワード。ルート沿いには全部で51の井戸があり、それぞれに1から51までのナンバーがついている。
幅広の高速ダートから幅の狭い曲がりくねったダートに入っていくと、その入口には「キャニング・ストックルート」の案内板。道の両側からは樹木が覆いかぶさってくる。
路面はマッドあり、ロックあり、サンドありで、我らオフロード・フリークをおおいに楽しませてくれたが、ときどき飛び出してくるカンガルーには要注意。
第1日目は「WELL6」まで走り、そこでキャンプした。
大雨で走破は不可能に
第2日目になると路面の砂が多くなり、何度となくバランスを崩し、あわや転倒という場面がたびたびだ。
そしてキャニング・ストックルート特有の本格的な砂丘越えが始まった。目の底に強烈に焼き付く真っ赤な砂丘が連続する。
この砂丘越えで辛いのは、砂丘に対して直角に入っていけないことだ。轍は砂丘と平行して登り、砂丘のてっぺん近くでキューンと曲がっている。そのためスピードをのせにくいのだ。砂丘をひとつ越えるごとに、体力を激しく消耗した。
ウィルナを出てから7日目、1029キロを走り、カラワジに到着。ここにはなんとガソリンスタンドができていた。食料品も買えるストアも併設されていた。全行程、まったくガソリンや食料を補給できなかったキャニング・ストックルートだが、大きな変化があった。
しかし、我ら「キャニング軍団」は、ここで大ショックを受けることになる。
カラワジの北で塩湖を横切るが、何日か前に降った大雨で塩湖は満々と水をたたえ、四国ぐらいの大きさになっていた。
残念無念…。
もうそれ以上、キャニング・ストックルートを走るのは不可能。「キドソン・トラック」という全長600キロのダートを経由して国道1号に出た。ウィルナから1626キロの連続ダートを走っての国道1号である。
最後は「ギブリバーロード」の600キロのダートを走り、ウィルナを出てから12日目にオーストラリア北部のクヌヌラに到着した。「ウィルナ→クヌヌラ」間は2924キロで、そのうちダートは2218キロだった。