モンゴル一周 1997年(2)
大草原の宿で「ゲル友」になる
道祖神のバイクツアー「賀曽利隆と走る!」シリーズの第3弾目は「モンゴル一周」。
我ら「モンゴル軍団」のメンバー11名の乗るバイクはヤマハのセローで、モンゴルの旅行社「ジュルチン」のレンタルバイクだ。
首都のウランバートルを出発するとバイヤン峠を越えた。モンゴル語で峠は「ダワ」という。日本語にすごく似ている。峠には石が積み上げられている。それを「オボウ」という。旅の安全を祈って「オボウ」のまわりを3回、時計回りに回った。
ウランバートルから南へ、大草原の中につづくダートを走る。草原の緑が目にしみる。その中には点々と牧畜民のゲル(テント)を見る。ヒツジやヤギ、ラクダ、馬などの家畜の群れを見る。やがて草原地帯からゴビ砂漠へと入っていった。
ウランバートルを出発してから4日目には、南ゴビの中心地、ダランザドガドに到着。夜はそこから30キロほど走ったツーリスト・キャンプに泊まった。草原のゲルがひと晩の宿になる。南に連なるゆるやかな山並みの向こうは中国の内モンゴル(蒙古)自治区。
「あの山の向こうに行ってみたい!」
という強烈な誘惑にかられた。
ここでは桜田雅幸さん、北川直樹さん、鰐淵渉さんと一緒のゲルに泊まった。我々は同じゲルに泊ったということで、それ以降「ゲル友」になり、日本国内のキャンプでもその関係がつづいた。なにかというと「ゲル友」なのである。
その夜は「ゲル宴会」。ほかのゲルのメンバーも呼んでモンゴルの馬乳酒とモンゴリアン・ウオッカの「チンギスハーン」を夜中まで飲みつづけた。翌朝は「ゲル前談義」。ゲルの前にイスを置いて座り、二日酔いの朦朧とする頭で、「モンゴル談義」を楽しんだ。ぼくたちはすっかりゲルが気に入った。
南ゴビのツーリスト・キャンプから南西に向かって行くと、急速に緑は消え、遊牧民の姿も消え、荒涼とした砂漠の風景に変わっていく。
我々はゴビ砂漠の核心部に入った。
水の一滴も流れていない涸川を逆上り、岩山地帯の峠を越えると、前方にはうねうねと連なる大砂丘が見えてくる。東西に100キロ以上もつづくホンゴル砂丘だ。
ホンゴル砂丘の真下で昼食。砂の上にシートを広げ、そこでインドのサモサ風肉入り揚げパンといったモンゴル料理のホーショールを食べた。
昼食後、高さが300メートル近くある砂丘に登った。ブーツを脱ぎ捨て、裸足になったのだが、砂は焼け、まるで火の中に足を突っ込んでいるようだった。
「アッチチー」
早々に砂丘を登るのを断念。そのかわりに「ゴビ砂漠温泉」だとばかりに裸になって、「砂湯」をした。まあまあの気持ちよさだった。
遭難の不安は頂点に達した
ホンゴル砂丘の東端あたりは大きな難所。それまでたどってきた轍がプッツンと途切れてしまったのだ。
我々のサポートカーのパジェロは強引に台地の斜面を下り、道なき道を走る。我々バイク軍団もそのあとをついて走る。フカフカの砂との戦いの連続。まるで「砂地獄」の中を行くようなものだ。砂と大格闘し、グルグルと走りまわり、気がつくと元の場所に戻っているではないか。
「ヤバイ!」
心底、不安を感じた。
これは砂漠で遭難する一番多いパターン。こうしてワンダリングしているうちにガソリンがなくなり、遭難してしまうのだ。
ぼくと同じように遭難の不安を感じたのは、「道祖神」の菊地優さんだ。ぼくと菊地さんは参加者のみなさんに不安を感じさせないように平静を装った。
我ら「モンゴル軍団」を先導するサポートカーにはモンゴルの旅行社ジュルチンのみなさんが乗っているが、ゴビ砂漠の最奥部といってもいいこのあたりには、誰一人、今までに来たことがないという。彼らにとっても未知の世界だった。
さらにそのあともワンダリングを繰り返し、遭難の不安は頂点に達したが、パジェロは一か八かの勝負に出て、今までとは別方向の台地の斜面を一気に駆け登った。すると、けっこうはきりとした轍に出た。このときは「助かった!」と、思わず声が出た。
「一難去ってまた一難」とは、まさにこのことだ。
今度は湿地帯に入った。最初のうちは湿地の表面が乾き、幾何学模様の亀裂が入ったようなところで、バイクも車もまあまあ走れた。
ところが轍が途切れたところでは、サポートカーのパジェロがズボッと泥土の中にもぐってしまった。全員で泥まみれになってネチネチの泥を堀り、車輪の下に枯れ木を何本も突っ込み、かろうじて脱出できた。
ところが我々の後方からは真っ黒な雲が追ってくる。もし、ザーッと雨が降ってきたらもうお終いだ。にっちもさっちもいかなくなってしまうのは目に見えている。またしても遭難の危機に見舞われた。
我ら「モンゴル軍団」には2名の女性がいた。そのうちの1人、黒木道世さんは超能力を持っていて、指1本で雨雲を吹き飛ばせる人。ここはもう黒木さんに頼るしか方法はない。
「あの雨雲を吹き飛ばして下さい」
と、頭を下げて頼んだ。
この遭難の危機も、黒木さんの超能力のおかげで突破できた。黒雲の流れはコースを大きく変えたのだ。
その湿地というのは、我々が「東京23区大・湿地帯」と呼んだくらいの広大なもの。少しでも固そうな地面を探して道なき道を走り、日暮れが迫ったころ、ついに「東京23区大・湿地帯」を突破した。
「ここまで来ればもう大丈夫!」
台地上で止まり、そこでキャンプ。全員が握手、握手の連続。我々は「助かった!」を口々に連発した。
我ら「モンゴル軍団」はこうして2度の遭難の危機を突破し、モンゴル西部のバヤンホンゴルの町に着いた。そこからハンガイ山脈の峠を越え、ユーラシア大陸の広大な地域を支配した元の都のカラコルムを通り、首都のウランバートに戻った。
帰国するとカソリ、すぐに50歳の誕生日を迎えた。
「病」のせいで暗い40代だったが、もうそれともお別れ。「病」に打ち勝ったので、これからの50代は、ずっとバイクで走りつづけられると確信するのだった。