第2弾 茅場町駅~月島駅

江戸の島々を行く

 富岡八幡宮の参拝を終えると門前仲町を出発し、清澄通りを南へと歩く。

 大横川にかかる黒船橋を渡ると越中島だ。江戸初期、榊原越中守の所領だったことからその名がある。ここには東京商船大学と東京水産大学が統合して誕生した東京海洋大学があるが、そのうちの東京商船大学は岩崎弥太郎が明治8年に創立した三菱商船学校に始まる。

 越中島の交差点を越えたが、ここはカソリの思い出の地。20歳の時に「アフリカ一周」に旅立ったが、その資金稼ぎで印刷会社で仕事をしているときのことだ。ぼくは門前仲町の交差点方向からカブに乗って直進し、越中島の交差点で右折の大型トラックと衝突。カブは大破したが、「不死身のカソリ」はほとんど無傷だった。50年以上も前のことになるが、今思い出しても、「いや〜、危なかった!」と思うのだ。

 越中島から相生橋を渡って石川島に入る。今では石川島と佃島、月島は地続きになっているが、ここでは江戸の風情の残る佃島を歩いた。

 誰もが知っている「佃煮」の佃は佃島のことだ。隅田川に佃大橋がかかるまでは佃の渡しが出ていた。さきほどの仕事をしたという印刷会社は、佃の渡しの出た湊町にあった。

 佃島は都心からわずかな距離にもかかわらず、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのようなところ。その中に何軒かの佃煮の老舗がある。佃島がすごいのは、今でも古い家並みがほとんど変わらずに残っていることだ。

 ところで江戸の佃は、摂津の佃(大阪市西淀川区)に由来している。

 徳川家康は江戸城を居城にすると、摂津の佃から進んだ技術を持った漁民たちを呼び寄せ、住まわせた。それで佃島になった。その佃島でつくられる小魚の甘露煮が「佃煮」と呼ばれるようになった。

 佃煮店を見てまわり、住吉神社を参拝すると、佃島から佃大橋の橋脚の下をくぐり抜けて月島へ。ここは明治中期に完成した埋め立て地。月島名物の「もんじゃ焼」を食べ、地下鉄(大江戸線と有楽町線)の月島駅で「江戸探訪」の第2弾目を終えるのだった。

門前仲町を出発
清澄通りの黒船橋
黒船橋から見る大横川の流れ
清澄通りの相生橋
石川島の高層マンション群
佃島の路地を歩く