『バイク旅行』2014年夏号より

JR常磐線の線路を渡る。前方には富岡駅が見える。3年前(2011年)の14時46分までは、いつもどおりにこの踏切を電車が走っていた。やっと入れるようになった富岡の町には、3・11の光景がまだ手つかずのそのままの姿で残っていた
▲JR常磐線の線路を渡る。前方には富岡駅が見える。3年前(2011年)の14時46分までは、いつもどおりにこの踏切を電車が走っていた。やっと入れるようになった富岡の町には、3・11の光景がまだ手つかずのそのままの姿で残っていた
いわき市の漁港に活気が戻らない。風評被害は今も続く

「東日本大震災」から3年後の3月11日、東北太平洋岸最南端の地、鵜ノ子岬に相棒のスズキの250ccバイク、ビッグボーイに乗ってやってきた。岬の北側が福島県の勿来漁港で、震災の復旧工事が終わり、きれいに整備された岸壁にビッグボーイを止めた。岬突端の海に落ちる岩山にはポッカリと海食洞の穴があいていて、そこからは岬の南側、関東側の平潟漁港の一部が見えている。

 これから東北太平洋岸最北端の地、下北半島の尻屋崎を目指して長い旅が始まる。

 勿来からは海沿いのルートで小名浜へ。その途中では竜宮岬を通るが、岬の周辺の県道239号はいわき市内では最後まで通行止がつづいた。その道も今では何事もなかったかのように通れる。小名浜の臨海工業地帯の復興は速く、大津波の痕跡はもう見ることもできない。3・11は遠くなったというのが第一印象だ。

 小名浜に着くと、小名浜漁港前の「市場食堂」で「ウニ丼」を食べた。マコガレーの煮つけがついている。「ウニ丼」はおいしかったし、「市場食堂」のメニューも増えた。

 小名浜漁港では何隻かの漁船を見たが、活気はまだ戻っていない。東京電力福島第1原子力発電所の爆発事故による風評被害で、小名浜港での水揚げがなかなか増えない。

 小名浜の三崎を皮切りに岬めぐりをしながら浜通りの漁港をめぐる。

 竜ヶ崎の中之作漁港、合磯岬の江名漁港、塩屋崎の豊間漁港、富神崎の沼ノ内漁港と見てまわったが、大地震、大津波で破壊された漁港は修復され、岸壁は作りなおされているのに以前のような活気は見られない。漁船の数も少ない。これらはすべて東電福島第1原発の爆発事故によるもので、福島県の浜通りは原発の爆発事故の重い後遺症を背負いつづけている。それが復興の大きなさまたげになっている。

 塩屋崎の「塩屋埼灯台」には、震災3年目でやっと登れるようになった。灯台のてっぺんからは南側の豊間海岸と北側の薄磯海岸を一望できる。豊間も薄磯も大津波の被害を受けて海岸の集落は全滅した。被災地には家々の土台だけが残っていたが、その土台もほぼ撤去されている。豊間小学校の校庭にうず高く積み上げられていた瓦礫の山は撤去されて消えた。

 県道382号で新舞子浜を走り、四倉で国道6号に合流。道の駅「よつくら港」は再開し、大盛況のレストランで「あなご釜めし」を食べた。

 四倉から国道6号を北上する。波立海岸の波立薬師を参拝し久之浜へ。大津波とそのあとの大火で壊滅状態になった海岸に、奇跡の稲荷神社の祠が残っている。盛土の工事が進み、海岸一帯は防災緑地になるとのことだが、稲荷神社は復興のシンボルとして残すという。いわき市内の岬めぐりの最後は殿上崎。岬の北側に久之浜漁港がある。こうして鵜ノ子岬から殿上崎までのいわき市内の岬をめぐると、岬と漁港がセットになっているのがよくわかる。

原発事故の影響で常磐道は分断されたまま

 国道6号をさらに北上し、広野町、楢葉町を通って富岡町に入る。こうして富岡町に入れるようになったのは昨年の3月25日からのことで、まだ1年もたっていない。通行可能な富岡消防署の交差点まで行き、そこで折り返し、海岸近くのJR常磐線の富岡駅へ。駅も駅前の商店街も大地震と大津波に襲われたときのままの姿で残っているのが痛々しい。赤く錆びた線路を渡ると、消防車のグシャグシャになった残骸が目に飛び込んでくる。富岡漁港は復興とは無縁で、大津波に襲われた時のままの無残な姿をさらしている。

 ここで「東日本大震災」の発生した14時46分を迎えた。破壊された堤防上に花束を供え、海に向かって手を合わせる何人もの人たちがいた。

 ガラーンとした富岡の中心街に戻ると、国道6号から県道35号へ。阿武隈山地の山裾を走る県道35号を北上し、富岡町から大熊町に入った。除染作業用のゲート地点まで行き、そこで折り返し、常磐富岡ICで常磐道に入った。

 常磐道の広野IC〜常磐富岡IC間は通行止が解除され、ついに通れるようになった。これで常磐道の通行止の区間はなくなった。来年(2015年)のゴールデンウイークまでには常磐道の全線が開通し、通行できるようになるという記事が、この日の『福島民友』の一面トップに大きく出ていた。浜通りの人たちの常磐道全線開通に寄せる期待には、きわめて大きいものがある。

 常磐道でいわき四倉ICまで走り、四倉舞子温泉の「よこ川荘」に泊まる。宿にはセローに乗って渡辺哲さんが来てくれた。湯から上がるとビールを飲み、夕食の刺身、チゲ鍋、塩辛、焼きナスを食べながら話した。

 渡辺さんの実家は楢葉町。爆発事故を起こした福島第1原発の20キロ圏内ということで、3・11から3年たったが、いまだに自宅には住めないのだ。

 そんな渡辺さんは、「明日は楢葉を案内しますよ」といってくれる。

 翌3月12日、渡辺さんが来てくれる。朝食を食べて「よこ川荘」を出発。国道6号で楢葉町に入ると、まずは古道の浜街道沿いにある渡辺家へ。すでに除染作業の終わった家と庭を見せてもらった。家の前に立つとJR常磐線の線路越しに太平洋が見える。大津波は盛土になった常磐線で止まったとのことだが、海から常磐線までが1・5キロ、常磐線から渡辺家までは0・5キロの距離だ。

 そのあと常磐線の木戸駅、竜田駅と見てまわり、楢葉町の一番北の波倉海岸まで行く。崩壊した堤防に立つと、目の前に楢葉町と富岡町にまたがる東電福島第2原発が見える。この福島第2原発は首の皮一枚で助かったが、もし第1原発と同じような爆発事故を起こしていたら、それこそ首都圏全域が危なかったという。

 楢葉町から富岡町に入り、県道36号で川内村へ。割山峠を越えて川内村に入ると一面の雪景色。残念ながら村役場近くの日帰り湯「かわうちの湯」にはまだ入れなかったが、営業が再開された「いわなの郷」で「岩魚唐揚定食」を食べた。

小高駅前にずらりと並んだ自転車は、すっかり錆び付いていた

 川内村で渡辺さんと別れると、国道399号→国道288号→国道349号→県道12号で南相馬市へ。国道6号が分断されたままなので、浜通りの南から北に行くのは大変なことなのだ。

 南相馬では国道6号を南下して小高町へ。常磐線の小高駅に行くと、駅前の自転車置場にはズラリと自転車が並んでいる。大半は通学で使う高校生のもの。3年前の3月11日の朝、いつものように駅まで乗っていった自転車がそのまま置かれているのだ。3年という月日を感じさせるかのように、ほとんどの自転車が錆びていた。

 小高町から国道6号をさらに南下すると、南相馬市から浪江町に入る。浪江町で走れるのは国道6号のみ。交差する国道114号などすべての道は通行止め。異様な光景だ。双葉町との境が通行止地点。そこで折り返し、南相馬に戻った。

「東日本大震災」からすでに3年が過ぎた。3年もの長い間、国道6号という日本の幹線国道が通行止のままなのだ。日本の歴史上、いまだかつてない異常な事態が、ごく当たり前のことになっているのが恐い。

 南相馬市の原町に戻ると、海沿いの県道74号を北へ。相馬市に入ったところにある蒲庭温泉の一軒宿「蒲庭館」に泊まった。湯から上がると夕食。刺身、煮魚、タラ鍋、ホタテの煮物、アンコウのとも和えと「海の幸三昧」の夕食だ。