『地平線通信』2009年10月号より
●この半年あまりというもの、ほとんど家にいなかったので、地平線会議の報告会にも行けませんでした…。シール・エミコさんの2008年2月29日の報告会が大きなきっかけとなった「チベット横断」には、7月1日に出発しました。北京から西安へ。西安から中国製のバイクで蘭州→嘉峪関→敦煌とシルクロードを走り、敦煌からチベット高原に向かっていきました。
●西安を出発してから9日目、青海省のゴルムドに到着。ここから青蔵公路(国道109号)でチベットのラサへ。その間では崑崙山脈を越えていきます。憧れの崑崙。標高4767メートルの崑崙峠に立ったときは、「おー、崑崙!」と、喜びを爆発させました。さらにそのあと、標高5010メートルの風火峠を越えたのです。いよいよ5000メートル級の峠越えの開始です。
●風火峠を下ったダダ(トト)では長江との出会いがありました。長江最上流部のダダ(トト)川にかかる青蔵公路の橋が、長江最初の橋ということになります。この夜は最悪。ダダの町の標高は4521メートル。「長江源賓館」に泊まったのですが、高山病にやられ、息苦しくてほとんど寝られませんでした。横になれないのです。仕方なくホテルのロビーのソファーに座っていました。この格好だと、すこしは楽に息ができるのです。
●ダダを出ると、青海省とチベット自治区の境、標高5231メートルのタングラ峠を越えていきます。つづいて標高5170メートルの峠越え。高山病にすっかりやられてしまったので、何とも辛い峠越えとなりました。眠れない、食べられないという重度の高山病の状態でラサに到着すると、あまりの空気の濃さに驚かされました。高山病は一発で治り、普通に歩けるようになり、普通に食べられるようになり、普通に寝られるようになったのです。といってもラサの標高は3650メートル。富士山ぐらいの高さはあるのですが、4000メートル、5000メートルの世界から下ってくると、まるで天国のような低地に感じられたのです。
●ラサからシガツェ、ラツェを経由し、標高5248メートルのギャムツォ峠を越えてチョモランマのベースキャンプへ。標高5000メートルのロンボク寺に泊まったのですが、その日の夕方、チョモランマにかかっていた雲はきれいにとり払われ、その全貌を見ることができたのです。モンスーンの季節でチョモランマを見るのはほとんど無理だといわれていただけに、もう狂喜乱舞で夕日を浴びたチョモランマを見つづけるのでした。
●ティンリンで泊まった日の朝は快晴。目の前の平原の向こうには標高8201メートルのチョーユーが聳えたっていました。神々しいほどの山の姿。その左手には標高7952メートルのギャチュンカン。チョモランマも見えていますが、堂々としたチョーユー山群に圧倒され、ここでは脇役でしかありませんでした。
●ティンリンからは標高8012メートルのシシャパンマへ。ヒマラヤ8000メートル峰の奇跡はさらにつづき、チベッタンブルーの抜けるような青空を背にしたシシャパンマの主峰を見ることができたのです。シシャパンマの大山塊を左手に見ながら走りつづけます。雪山の白さ、間近に見える氷河の白さはまぶしいほどでした。そして「チベット横断路」の新蔵公路(国道219号)のサガの町に出ました。
●新疆ウイグル自治区とチベット(西蔵)を結ぶ新蔵公路は劇的に変りました。すっかり道がよくなっているのです。何本もの川には橋がかかり、川渡りをすることは一度もありませんでした。ヤルツァンポ川と別れ、標高5216メートルのマユム峠を越えると、聖山のカイラスが見え、聖湖のマナサロワールも見下せます。チベット西部のアリ地区に入ると、何と舗装路が延々とアリ(獅河泉)までつづいていました。
●アリからは最後の5000メートル級の峠越え。崑崙山脈の標高5248メートルの界山峠を越え、チベットから新疆に入っていきました。K2の登山口のマザーを通り、4000メートル級、3000メートル級の2つの峠を越え、タクラマカン砂漠のオアシス、カルグリックへ。そこはチベット高原とはあまりにも違う世界。熱風の吹きすさぶ一望千里の大砂漠を走り抜けていくのでした。こうして西安を出発してから31日目の8月11日、中国最西端の町、カシュガルに到着。全行程7000キロの「チベット横断」、というよりも「中国横断」の旅でした。シール・エミコさん、おかげで「チベット横断」ルートを走り切ることができましたよ。
●「チベット横断」から帰国するとすぐに「奥の細道紀行」に出発。東京から大垣まで約1ヵ月をかけ、250ccバイクのスズキST250で8600キロを走り、芭蕉の「奥の細道」の足跡をたどったのです。芭蕉の世界にひたる毎日にはたまらないものがありました。10月1日には「北海道遺産」をめぐる「北海道一周」に出発します。そのあとは「八重山諸島」、さらには今年2度目の中国の「上海→広州」へとつづきます。さー、行くぞー!(賀曽利隆)