[1973年 – 1974年]

アフリカ東部編 19 ベニスエフ[エジプト] → ハルツーム[スーダン]

「ナイルの賜もの」

 ルクソールを過ぎると車窓の風景は一段と乾燥したものになる。ナイル川の両側の緑地は猫の額ほどの狭さになり、その向こうには砂漠が広がっている。途方もない広さだ。列車が巻き上げる砂塵が容赦なく車内に入り込んでくる。列車はナイル川の青いひと筋の流れに沿ってアスワンを目指してひたすらに走りつづける。

 こうしてみると、エジプトという国は、ほんとうに「ナイルの賜もの」だ。ナイル川の流れがなかったら、おそらくエジプトという国は存在しなかったであろう。急行列車はカイロを出てから19時間で終点のアスワン駅に着いた。真昼の強烈な太陽がギラギラと照りつけていた。

ナセル湖の船旅の準備

 エジプトのアスワンからスーダンのワジハルファに行くのには、ナイル川をせき止めてできたナセル湖の船が唯一の交通手段。その船は週2便、出ていた。アスワンでもカイロと同じようにユースホステルに泊まり、ワジハルファに渡る準備をした。

 エジプトは食料が安い。大きなカゴを買い、パン15本、オレンジ2キロ、タマネギ1キロ、サディーンの缶詰3個、チーズ、ジャム、つけもの、デーツ、あめを買った。全部合わせても2ポンド(約1000円)ほど。このカゴいっぱいの食料でスーダンの首都ハルツームまでもたせるつもりだ。

 クツはとうとうダメになった。脱ぎすててゴムゾウリを買った。ほころびのひどいズボンは半ズボンにし、上着はつぎあてしてもらう。ミシンひとつで商売をしている仕立屋に直してもらったのだが、両方で15ピアスタ(約75円)だった。

 さらにワジハルファまでのキップを買い、残ったエジプトのお金をスーダンのお金に替えた。レートはエジプトの1ポンド50ピアスタがスーダンの1ポンドだった。

 朝も昼も夜も、食堂で腹いっぱい食べた。食料の安いエジプトでは食堂も安い。こうして食いだめし、ナセル湖の船旅の準備を終えた。

アスワンの町
アスワンの町
アスワンを流れるナイル川
アスワンを流れるナイル川
ナセル湖を行く

 アスワンのユースホステルではイギリス人旅行者のリチャードに出会った。彼は大学を半年間休学し、北から南へと、「アフリカ大陸縦断」の旅に出た。旅のゴールは南アフリカのケープタウン。同じ方向に行くのだからと、リチャードと一緒にナセル湖の船に乗ることにした。「旅は道連れ」とはよくいったもので、その後、スーダンとウガンダの国境までリチャードと一緒に行くことになる。

 11時20分発の列車でアスワン駅からアスワン・ハイダムまで行く。駅から船着場まではわずかな距離だが、なにしろ食料をどっさり買い込んだので、歩きにくくて仕方ない。船着場では出国手続きを終えて船に乗り込んだ。

 船は2階になっていて、乗船すると、さっそく寝袋を敷いて自分の寝場所を確保した。屋根はない。屋根は必要ないからだ。このあたりはまったく雨が降らない。1滴の雨も降らない年が何年もつづくこともある。アスワンからワジハルファに行くのに雨に降られたら、それこそ奇跡といっていい。

 船はアスワン・ハイダムのすぐそばにある船着場を15時30分に出発した。ナセル湖を南へと進んでいく。日が落ち、暗くなると、岸辺に船を着け、そこでひと晩泊まる。無数の星空を見上げながら寝るのは最高の贅沢。この上もなく豊かな気分になってくる。

 日の出前はなんともいえずにすがすがしい。日中の猛烈な暑さが信じられないほど。やがて砂漠の日の出を迎える。朝日は毎日、確実に砂漠の地平線に昇る。はっきり、くっきりとした大きな姿を地平線上に現す。思わず手を合わせたくなるほどの神々しさ。船上でイスラム教徒は東のメッカの方角に向かって祈る。メッカに向かってひれ伏すイスラム教徒の姿と砂漠の風景はぴったりとひとつに溶け合っていた。

 ナセル湖の静けさを破るかのように、2台のホバークラフトがエンジン音を轟かせて船を追い抜いていった。アスワンとアブシンベルを結ぶホバークラフトだ。アブシンベル神殿を見にいく観光客は、ぼくたちの乗った船にカメラを向け、盛んにシャターを切っている。日中の暑さはすさまじいばかりで、何もする気にはならない。日陰でゴロゴロしているだけだ。日が落ちると、前方のはるかかなたに明かりが見えてきた。それがアブシンベルの明かりだった。

 アスワンを出てから3日目、船はスーダンのワジハルファに近づいた。目をこらして見たが、モスクのミナレットは見えなかった。ワジハルファはナイル川沿いのオアシスで、スーダンとエジプトを結ぶ重要な交通の中継地として栄えてきた。それがアスワン・ハイダムの建設によって水中に没してしまうことになり、何代にも渡ってこの地を生活の場としてきた人たちは、はるか南、エチオピアとの国境近くに移住させられた。新しくできた町がニューハルファだ。

 ぼくが1969年に来たときは、ワジハルファの町はすでになく、水中に没していた。しかし、モスクのミナレットだけは、その先端が水面から顔をのぞかせていた。そのミナレットの先端もすでに完全に水中に没してしまった。

 午前11時、ワジハルファの船着場に到着。アスワンから44時間の船旅だった。

ナセル湖を行く
ナセル湖を行く
ナセル湖に落ちる夕日
ナセル湖に落ちる夕日
スーダンのワジハルファ港
スーダンのワジハルファ港
灼熱のヌビア砂漠を歩く

 真昼のワジハルファの暑さは強烈だ。一発KOパンチのようなすさまじさ。太陽の光をまともに浴びていると、頭がクラクラしてくる。船着場で入国手続きをすませると、乗客はトラックやジープに乗ってワジハルファ駅に向かっていく。駅まではわずか4、5キロなのに料金は60ピアスタ(約500円)と高い。ぼくは歩いていくことにした。アスワンから一緒のリチャードも歩くという。駅まで歩くのは我々、2人だけだ。火のように熱くなったヌビア砂漠の砂の上を歩いた。ザックの肩ひもは切れているので、頭の上にのせたり、わきにかかえたり、赤ん坊をおんぶするように背中で背負ったりと大変だ。足はといえばゴムゾウリなので、砂の上ではなんとも歩きにくい。ゴムゾウリを脱いで裸足になると、足の裏は火傷しそうなほど熱くなる。

 ワジハルファからスーダンの首都ハルツームまで、ナセル湖の船に接続して週2便、列車が走っている。それに乗り遅れたら次の列車まで2日も3日も待たなくてはならないので、あまりゆっくりとは歩けない。リチャードと励まし合いながら灼熱の砂漠を歩いた。

ハルツーム行きの列車

 ワジハルファ駅に着いた時には、ハルツーム行きの列車の発車時間まで、まだ十分な時間があった。リチャードと駅の近くの食堂に入る。やっと太陽光線をさけることができ、ホッとひと息つけた。砂漠では極端に湿度が低いので、日陰に入れば、けっこうしのぎやすくなる。リチャードとお茶を飲んだ。砂糖のたっぷりと入った紅茶だ。この甘ったるい味が砂漠ではなんともいえずに快く、のどの渇きをいやしてくれる。

 列車は1等、2等、3等、4等に分かれている。ぼくたちはハルツームまでの4等の切符を買った。1人4ポンド42ピアスタ。日本円で3500円ほど。ワジハルファからハルツームまでは1000キロほどなので、エジプトのカイロからアスワンまでの料金と比べるとかなり高いが仕方ない。

 列車は16時40分発の予定だが、時間になっても走り出す気配はない。1時間たっても2時間たっても出発しない。まわりにいる人たちはジーゼルカーが故障したからだといっている。1969年に来たときは蒸気機関車だった。それが今回は日本製のジーゼルカーに変わっていた。ジーゼルカーが日本製なのはみんな知っているので、日本人のぼくとしては何かバツが悪かった。

 列車が動きだしたのは夜中になってからだ。リチャードの時計では24時25分。8時間あまりも遅れての発車だった。車中ではリチャードをえらいめにあわせてしまった。ぼくは荷物棚の上に、リチャードは床の上に寝袋を敷いて寝た。ところが列車がカーブで揺れたとき、荷物棚から落ちてしまった。落ちた場所がちょうどリチャードの上だった。

 彼の悲鳴で目がさめた。リチャードがクッションになってくれたので痛くはなかった。かわいそうなのはリチャードでしばらくは「痛い、痛い」といって顔をしかめていた。

「今度は大丈夫だから」
 と、ぼくは懲りもせずに、また荷物棚に登り、その上で寝るのだった。

辛い夜…

 目をさますと、列車はヌビア砂漠のまっただなかを走っていた。ナンバー5ステーションに止まった頃、砂漠をピンクに染めて朝日が昇った。乗客の多くが砂の上にひれ伏してメッカに向かって礼拝している。ヌビア砂漠内の駅名はナンバー5ステーションのように数字なのだ。

 列車はもうもうと砂煙を巻き上げながら走る。ジーゼルカーにとっては、日本では考えられないような悪条件の中を走る。おまけに日中の猛烈な暑さ。これでは故障するはずだ。客車は白っぽい色で、窓が小さく、庇がついている。それというのも、砂漠の強烈な日差しを遮るためだ。

 その日はちょうどイースターだった。リチャードとオランダ人の若いカップルと一緒に食堂車に行き、ワインで乾杯した。砂漠で飲むワインは腹にしみた。

 昼過ぎにアブハメッド駅に着く。やっとヌビア砂漠を抜け、ナイル川の河畔に出た。砂漠を見つづけた目で青いナイルの流れを見ると、目の中まで青く染まりそうだ。エジプトがナイルの賜ものなら、スーダンも同じくナイルの賜もの。スーダンという国もナイル川の流れなくしては考えられない。

 その夜は眠れなかった。べつに前の晩に荷物棚から落ちたからではない。体調がすごく悪くなったからだ。熱があった。頭がガンガン痛んだ。じっと我慢するしかない。なんとも長い夜になり、夜が明けるのをいまかいまか…という気持ちで待った。

 待望の夜明け。列車はハルツーム・ノース駅に着く。そこでかなりの乗客が降りた。青ナイルにかかる鉄橋を渡り、終点のハルツーム駅に着いたのは6時30分。ワジハルファから30時間の列車の旅だった。

 その日はハルツームのユースホステルに泊まった。最悪の体調だったこともあり、1日中、日陰でゴロゴロしていた。リチャードも30時間の列車の旅に疲れ切ったようで、同じように日陰でゴロゴロしている。夕方になり、涼しい風が吹きはじめると、やっと熱が下がり、体もずいぶんと楽になった。

ワジハルファから列車でハルツームへ
ワジハルファから列車でハルツームへ
ヌビア砂漠の日の出
ヌビア砂漠の日の出
ヌビア砂漠の日の出
ヌビア砂漠の日の出
ヌビア砂漠内の駅で停まる列車
ヌビア砂漠内の駅で停まる列車
ヌビア砂漠内の駅で停まる列車
ヌビア砂漠内の駅で停まる列車