30回目 2025年3月10日

壊滅的な被害を受けた南三陸町

 東日本大震災の大津波で町が壊滅し、復興途上にある雄勝(おがつ)を出発。

 国道398号で釜谷峠を越えると北上川。河畔には大川小学校跡が震災遺構として残されている。

 新北上大橋で北上川を渡る。きれいに整備された堤防上の2車線の道で河口の白浜海岸へ。そこでバイクを止め、東北一の大河、北上川の河口を眺めた。白浜海岸は東北でも有数の海水浴場。河口には小さな白浜漁港がある。

 三陸海岸の名勝の神割崎へ。ここが石巻市と南三陸町の境。「神割伝説」の伝わる神割崎だが、海岸まで降りて絶景を見られる。

 南三陸町に入ると国道398号→国道45号で志津川へ。南三陸町は平成17年(2005年)10月1日に志津川町と歌津町が合併して誕生した。東日本大震災の大津波では、志津川も歌津も壊滅的な被害を受けた。

 震災当時、「南三陸町」の名はほとんど知られていなかったが、大津波でのすさまじい被害が明らかになるにつれて、その名は全国に知れ渡った。それは「三陸」も似ている。明治以降に陸前、陸中、陸奥の3国に国分けされての三陸だが、やはりほとんど知られていなかった。それが明治29年(1896年)6月15日に発生した明治三陸大津波で2万2千人もの死者を出すと、「三陸」の名は全国民が知るところになった。

 南三陸町の志津川では同行してくれている小林進一さんが被災者のお宅を訪ねた。小林さんは南三陸町でボランティア活動に励まれたが、被災した家族のみなさんとはその後もずっと交流をつづけているのだ。

 南三陸町の道の駅「さんさん南三陸」で昼食。ここでは「しお彩」に入って海鮮丼の「キラキラ春つげ丼」を食べた。「しお彩」は我がなつかしの店。震災以前は志津川の中心街にあった。そこで食べた「マグロ丼」が思い出される。

 南三陸町の志津川から歌津へ。ここも志津川同様、町は壊滅したが、今はその痕跡は見られない。橋が落ちた国道45号もルートを変えて完成している。

 南三陸町から国道45号で気仙沼へ。気仙沼はJR気仙沼線の南気仙沼駅の周辺が激しくやられたが、今では高層の災害公営住宅が建ち並んでいる。気仙沼漁港にもにぎわいが戻ってきている。気仙沼漁港周辺は復興の最中。ここで思い出すのは乗り上げ船。大津波で陸に乗り上げた大型漁船が折り重なっていた。その中をかいくぐって走り抜けていった日が、遠い昔のことのように思われた。

震災以前

2010年版の『ツーリングマップル東北』の写真ページ。右下の最後の写真は「しお彩」の「マグロ丼」。撮影は巣山悟カメラマン

震災直後 2011年5月18日