第2回目(3)2011年6月11日-12日
日和山が消滅していた
国道4号で宮城県に入ると白石、岩沼を通って名取へ。
名取で国道4号を右折し、仙台空港に通じる県道20号を行く。そして海沿いの幹線ルート、県道10号との交差点に出た。
1ヵ月前の第1回目の「鵜ノ子岬→尻屋崎」では北半分が通行止になっていたが、今回は通行止が解除され、全線が走れるようになっていた。
県道10号で仙台空港の滑走路下のトンネルで走り抜けていくのだが、トンネルの入口には小型飛行機の残骸が見られた。小さな沼には何台もの車が折り重なっていた。
つづいて大きな被害を出した名取川河口の閖上に行きたかったのだが、閖上に通じる道はすべて通行止になっていた。
名取川を渡った左岸は壊滅状態で、あまりのすさまじさに目を覆いたくなるほどだったが、名取川右岸の閖上も同じようなやられ方なのであろうと推測した。
今回の大津波では阿武隈川、名取川、鳴瀬川、旧北上川、北上川、気仙川、閉伊川と、大きな川の河口や下流沿いが大被害を受けたことがよくわかる。
県道10号から蒲生干潟に面した日和山まで行ってみる。この道は通れた。標高6メートルの日和山は「元祖日本で一番低い山」で知られていたが、なんと山は大津波でえぐり取られられて消滅していた。
自然の宝庫、蒲生干潟の植生も、大半が消えていた。
この周辺はまるで絨毯爆撃をくらったかのような惨状で、まだほとんど手がつけられていないような状況だ。
全国から集結した警察車両が捜索をしていたが、各地でつづけられている行方不明者の発見は、自衛隊から警察に移っているように見えた。
仙台からは国道45号で多賀城、塩竃を通り、松島へ。
松島はもう普段通りの姿で大津波による被害は見られない。
松島からは海沿いの県道27号で東松島市に入り、東名(とうな)、野蒜(のびる)の被災地を見てまわった。
東松島から石巻へ。石巻では旧北上川沿いに走り、国道45号の道の駅「上品の郷」の温泉施設「ふたごの湯」に入った。湯から上がると「コンビニ弁当」の夕食を食べた。
石巻を出発すると、河北ICで三陸道に入り、終点の登米東和ICで降り、登米市東和町の旧鱒淵小学校に行く。21時の到着だ。
この旧鱒淵小学校の体育館がボランティア組織「RQ市民災害救援センター」の活動拠点。全国から集まったボランティアのみなさんはここで寝泊まりしている。
総務の新垣亜美さんに館内を案内してもらった。そのあと被災したみなさんの避難所になっている校舎に連れていってもらい、南三陸町から避難しているみなさんのお話を聞いた。東日本大震災からすでに3ヵ月が過ぎているが、いつ帰れるとも知れない避難所での厳しい毎日にみなさんは懸命になって耐えている。