DR500
1982年の「パリダカールラリー」にスズキのDR500で参戦しました。風間深志さん(右)と2人だけの「チーム・ホライゾン(地平線)」を結成しての参戦でした。
ぼくは大会10日目に大事故を起こし、パリの病院まで空輸されましたが、よくぞ生きて帰れました。
ぼくは大会10日目に大事故を起こし、パリの病院まで空輸されましたが、よくぞ生きて帰れました。
DR500(1982年)
DR500Sをベースにしたエンデューロマシン。バハ1000などを舞台とするデザートレース用。そのため、小さな灯火類が付く。リヤサスは前後倒立の2本式。
エンジン:空冷4サイクルOHC単気筒 498cc
最高出力:36.5ps/6,500rpm
最大トルク:4.39kgm/5,699rpm
最高出力:36.5ps/6,500rpm
最大トルク:4.39kgm/5,699rpm
日本モーターサイクル史(八重洲出版)より引用
パリダカール・ラリー(Rallye Dakar)
1978年に始まった冒険レース。12月のパリをスタートし、地中海を渡り、サハラ砂漠を縦断。アフリカの西海岸、セネガルの首都ダカールにゴールした。その後、1992年のケープタウン(南アフリカ)、2000年のカイロ(エジプト)など、ゴールが変更されることもあった。2009年には南米へとステージを変更するが、現在も一貫してダカールの名称が使用されている。
風間氏と賀曽利がこのレースの二輪部門への最初の日本人参加者だった。ちなみに風間氏は完走、二輪部門で総合18位の成績を残している。