鵜ノ子岬→尻屋崎[037]

第3回目(2)2011年9月11日 – 14日

日和山が消えた

 9月12日。旅館「喜楽荘」の朝食を食べ、7時30分に出発。渡辺さんと一緒に走る。

 復旧工事の始まる前に松川浦大橋を渡り、砂洲がズタズタに寸断された地点まで行った。信じられないような光景で、大津波のあまりのすさまじさに我々は言葉もなかった。

 松川浦からは常磐線の新地駅へ。3・11から半年がたって、新地駅はずいぶんと変っていた。大津波でグニャとへし曲げられた跨線橋は撤去され、駅前にあった巨大な瓦礫の山はなくなっていた。そこでは瓦礫の分別作業をしていた。しかし常磐線の運転再開の見通しはまったく立っていない状況だ。

 新地で渡辺さんと別れ、ぼくは国道6号で福島県から宮城県に入っていく。

 さー、「宮城編」の開始だ。

 相棒のスズキの25ccバイク、ビッグボーイを走らせ亘理へ。そこから海沿いの県道10号を行く。

 まずは阿武隈川河口の荒浜へ。大津波で跡形もなくやられた荒浜だが、瓦礫はほとんど撤去されていた。新しい家も建ち始めている。荒浜中学校の広々とした校庭は災害復旧の自衛隊の車両で埋め尽くされていたが、今は何事もなかったかのようにガラ〜ンとしている。

 海辺の亘理温泉「鳥の海」の営業再開は難しそうだが、その前にうず高く積まれた瓦礫の山はさらに高くなっていた。巨大な瓦礫の山だ。

 荒浜から県道10号に戻ると、亘理大橋で阿武隈川を渡る。悠々と流れる東北第2の大河の眺めを目に焼き付けた。

 仙台空港の滑走路下をトンネルでくぐり抜け、次に名取川河口の閖上へ。ここは大震災2ヵ月後のときは、一般車両の通行禁止で入れなかった。その後も一般車両の通行禁止がつづいたが、それが今回、やっと通れるようになった。

 閖上の惨状はすさまじいばかりで、まるで絨毯爆撃をくらって町全体が焼き払われた跡のようだ。伊達政宗の時代に掘られたという運河の貞山堀を渡り、日和山から被災地を一望する。対岸に渡る橋は流されずに残っていた。その橋を渡ったところには以前、泊まった「サイクルスポーツセンター」がある。建物は残っていたが、大津波が建物を突き抜けていった痕跡が生々しい。

 閖上の次は七北田(なきた)川河口の日和山だ。『ツーリングマップル東北』には「元祖・日本で一番低い山 標高6m 展望台から蒲生干潟を一望」とあるが、日和山を探すのは大変だった。

 日和山周辺のやられ方は激しく、まだ手つかずのような状態。記憶を頼りに日和山までいったのだが、標高6メートルの山がどこにも見えない。車でやってきた地元の人に聞いてみると、今、自分が立っているところ、そこが日和山だった。

 大津波は日和山を飲み込み、山をえぐり取ってしまった。何という自然のすさまじさ。野鳥の楽園だった蒲生干潟も様相を一変し、地形が変っていた。

 県道10号から国道45号に合流し、多賀城、塩釜を通って松島へ。

 松島湾に面した松島は、今回の大津波ではほとんど被害受けていない。東北の太平洋岸では最も早く復興を果たしたところといっていい。松島湾の遊覧船も震災後、早々に運航を開始した。

 観光客でにぎわう町中の食堂で昼食にする。カキを注文すると、店の女将は「(養殖筏が)津波でやられて…」ということで食べられず、そのかわりに地元産のツブ貝を使った「焼つぶ定食」を食べた。

 松島(松島町)から海沿いの県道27号で東松島市に入ると、そこは大塚。JR仙石線の陸前大塚駅がある。海岸にある駅だが、駅も駅前の家並みもまったく無傷。大津波の痕跡は見られない。その次が「東名」(とうな)。東名には東名駅がある。「大塚ー東名」間は2キロほどでしかない。この2キロが、同じ松島湾岸を天国と地獄を分けた。ゆるやかな峠を越えて東名に入ると、信じられないような惨状が広がっている。

「(大塚が無傷なのに)なんで東名がこんなにやられてしまうの!?」と思ってしまう。

 東名運河(全長3・2km)が東名を流れている。1882年(明治15年)に完成した運河で、石巻湾に流れ込む鳴瀬川と松島湾を結ぶもの。さらにそこからは北上運河(全長12km)で石巻につながっている。南はといえば、塩釜から貞山堀(全長36km)で七北田川河口の蒲生、名取川河口の閖上を経由し、阿武隈川河口の荒浜につながっている。

 貞山堀は伊達政宗の時代に完成したといったが、政宗は石巻から荒浜までの内陸運河網を完成させ、年貢米の安全輸送をねらったようだ。北上運河→東名運河→貞山堀とつづく運河網は伊達政宗の執念を実現させたものともいえる。

 それが何とも皮肉なことに、これら運河に関わるところは今回の大津波で大変な被害を受けてしまった。北上川河口(今では旧北上川になっているが)の石巻、東名運河の野蒜、東名、貞山堀の蒲生、閖上、荒浜…と。

 東名からは、やはり大津波の被害をまともに受けた野蒜に行く。

 仙石線の野蒜駅前でビッグボーイを停める。駅前の県道27号の信号は倒れたままだ。無人の駅構内を歩き、おそらく2度と使われることのないホームに立った。

 野蒜をあとにすると、県道27号から鳴瀬川の堤防上の道を走り、国道45号に合流。東松島市の中心、矢本を通り、石巻の町に入っていった。