2020年10月27日
本州最西端の毘沙ノ鼻へ
10月27日7時。下関の「東横イン」の朝食を食べて出発。日本海沿いの国道191号を行く。蓋井島への下関市営渡船の出る吉見を過ぎ、吉母入口の交差点を左折し、吉母漁港から本州最西端の毘沙ノ鼻へ。岬突端の展望台から蓋井島を見た。
ぼくが初めて本州最西端のこの地にやって来たのは「40代編日本一周」(1989年)の時のことだった。吉母漁港で何人かの人たちに「本州最西端の地」を聞いてみたのだが、よくわからなかった。そんな中で、一人の人が「ゴミ捨て場のあの岬がそうじゃろ」というので行ってみた。すると下関市のごみ処理場に隣接する岬が本州最西端の地で、当時は誰も名前を知らないような「名無し岬」だった。
それから10年後の「50代編日本一周」(1999年)でも本州最西端の地に立った。驚いたことに国道191号の入口には「本州最西端の地」の道標が立ち、岬への道の途中には案内板が立っていた。岬名は「毘沙ノ鼻」になっていた。その入口には駐車場ができ、岬の突端には展望台ができていた。毘沙ノ鼻の展望台からキラキラと輝く日本海を眺め、目の前に浮かぶ蓋井島を眺めたのだった。
毘沙ノ鼻を後にし、国道191号を行く。難解地名の特牛(こっとい)を通り、角島大橋を渡って角島に寄り、11時、長門市に到着。ここでは仙崎漁港の食堂「春菊」で刺身付の「いわし丼」を食べた。イワシの刺身は鮮度満点。いわし丼のイワシは味醂漬。そのあと青海大橋で青海島に渡り、仙崎に戻った。
長門市からは国道191号で萩へ。中国山地から流れてくる阿武川は、日本海に流れ出る直前で橋本川と松本川の2本の流れに分かれ、河口に三角州をつくる。その上にできたのが萩の町。2つの川に挟まれた「島」が川内(かわうち)と呼ばれ、萩の中心街になっている。川向こうは川外(かわそと)になる。
ここでおもしろいのはJR山陰線の線路だ。鉄道は萩の町をまるで遠巻きにするかのように川外を走り、西からいうと玉江、萩、東萩と3駅あるが、どの駅も萩の中心街からは遠い。そのうちの東萩駅が萩の玄関口になっている。
玉江から橋本川を渡って萩の三角洲に入り、その突端にそびえる指月山に行く。毛利氏36万石の萩城は海に突き出た指月山にあった。この山は椀をふせたような、どこからでも目につくような形をしている。萩城は指月山山麓の本丸、一の丸、二の丸と指月山山頂の詰の丸から成る平山城。城は明治になってから解体されたが、石垣だけはきれいに残っている。見事な石垣だ。かつては五層の天守閣がそびえ建っていた天守台の石垣上に登り、萩の歴史を振り返ってみるのだった。
萩からは国道191号で須佐、田万川を通り、14時、山口・島根県県境の仏峠に到着。県境までが今は萩市だ。