1989年9月18日 – 20日
40代編日本一周
「40代編日本一周」(1989年)はスズキのハスラー50(水冷)で走った。「30代編日本一周」もハスラー50だったが、この時は空冷。富山から能登半島に向かった。
富山に到着したのは1989年9月18日。富山駅の構内の売店で「ますずし」を買い、待合室で食べた。輪ゴムで押さえた円形の容器のふたをとった時の熊笹の葉と、馴れたマスの切り身の香りがたまらない。見た目にも綺麗で、ピンクのマスと越中米のご飯の白さ、熊笹の緑という色の取り合わせが絶妙だ。味も抜群!
「ますずし」はぼくの一番好きな駅弁で、それを食べていると、聞こえてくる富山弁と合わせて、「今、富山にいる!」という実感が胸にこみ上げてくる。
「40代編日本一周」の相棒はスズキのハスラー50(水冷)
富山駅の待合室で「ますずし」を食べる
ザーザー降りの中、富山駅前を出発
「ますずし」に満足し、富山を出発した時は雨が一段と激しくなり、まさに土砂降り。もう泣けてくる。
しかし雨に降られようが、強風に吹かれようが走りつづけるというのが、我が「日本一周」の大鉄則だ。
とはいっても辛い…。雨具を着ているが、雨水はしみこみ、ウエアはビチョビチョ状態。雨具なしで走っているのと変わらない。
国道8号の旧道で神通川を渡り、高岡へ。すれ違う大型トラックにはバサー、バサーッと盛大に、路面に溜まった雨水を浴びせかけられる。そのたびに視界を失くす。
神通川西岸のナマコのような形をした呉羽丘陵を境にして、富山県は「呉東」、「呉西」とよくいわれる。そんな呉西の中心地、高岡から国道160号線で氷見を通り、能登半島に入っていく。ところが「大雨。県境、通行止」の標示が出ているではないか。
通行止だからといって、「ハイ、ソウデスカ」と、おとなしく引き下がるようなカソリではない。その通行止現場がどうなっているのか興味津々。土砂降りの雨の中、富山・石川県境を目指してハスラーを走らせた。
県境の通行止現場まで来ると、赤色灯を点滅させた道路パトロールカーが国道160号を封鎖していた。
「七尾方面はいったん氷見まで戻り、国道415号で羽咋まで行って、そこから国道159号を行ってください」
係官はていねいに対応してくれた。
いわれた通り氷見まで戻ると、国道415号線で羽咋に向かった。
羽咋に着いた時、気が変わった。
能登半島は反時計回りで一周するつもりだったが、それを時計回りにし、輪島に向かうことにした。輪島に住んでいる高校時代の友人の渡部暢康君に会いたくなったのだ。羽咋駅前の公衆電話の電話帳で電話番号を調べ、ダイヤルすると渡部君が出た。
「これからすぐに行くから。今、羽咋なので、2時間もあれば着きます」
渡部君の都合も聞かずに一方的に話した。
それ行けとばかりにハスラー50のスピード上げ、ザーザー降りの中、国道249号をを走り、輪島には2時間もかからずに着いた。すっかり暗くなってから渡部宅に到着。濡れたウエアを脱ぎ捨て、着替えると、輪島の地酒をふるまわれた。それを冷で飲みながら、つもる話に花を咲かせた。
渡部君がとびきりの美人の奥様ともども輪島に移り住むというので、新宿で壮行会を開いて送り出したのは10年前のことだった。それ以来の再会ということになる。
渡部君は芸大を出たあと油絵をやったり、彫刻をやっていたが、漆工芸に出会った時、「これだ!」
と、その魅力のとりこになり、同じ芸大出身の奥様を連れて輪島にやってきたのだ。
最初は駅近くのオンボロアパートにころがり込み、その後の10年間で5回も引っ越したという。町から何キロも離れた山中の廃屋同然の家を借りて住んだこともあるという。
若さゆえにできるドラマのような二人の生活。その間に渡部君は輪島の伝統的な漆工芸を学び、蒔絵師になった。コンクールに出展し、何度も入選するような技を身につけていった。今は石川県立「輪島漆芸技術研修所」の先生で、漆器の魅力にひかれて全国からやってくる学生たちに教えている。
渡部君は6回目の引っ越しを目前にしていた。今度は輪島郊外の新築の家に移り住むという。それを機に、輪島に腰を落ちつける気になったようだ。
翌日は一日、輪島に滞在した。
朝は輪島漁港から輪島朝市を見てまわり、午前中は「渡部教授」の案内で「輪島漆芸技術研修所」を見学させてもらった。漆器が完成するまでの大変な工程を見ると、「漆器が高いのはあたりまえだ」と納得できた。
午後は輪島の町を歩き、夕方には住吉神社の境内に立つ輪島夕市を見た。
夜は渡部君の行きつけの店に連れていってもらった。そこで輪島の郷土料理の「イシル汁」を食べた。イシルは秋田のショッツルと同じ魚醤油で、イワシもしくはイカからつくる。煮立ったイシルの中に薄く切ったナスや千切りにしたダイコン、それとネギを入れる。それだけのことなのに、このイシル汁のうまさといったらない。
そのほか輪島ならではの海の味覚、タコボウシ、コブク、シシッポを食べた。
タコボウシはタコの頭をスライスしたもので、いわれないとタコだとはわからない。アワビに似た味がする。
体長数センチのコブク(小さなフグ)は唐揚げにし、まるごと食べる。
シシッポは上品な味の白身の魚。淡白な脂分が印象的。塩焼きを食べたが、食べ残した骨はスープにする。捨てるところのまったくない魚。渡部君にいわせると、塩焼きにしたシシッポを燗にした酒に浸した「骨酒」は絶品だという。
「輪島はな、サバが刺身で食えるところなんだ。ウマイぞ〜!」
東京に戻ると、魚がまずくて食べられないという渡部君だった。
翌朝、渡部夫妻に別れを告げ、輪島から白米の千枚田、上時国家、下時国家の両豪農の家、揚げ浜塩田などを見てまわり、日本海に突き出た禄剛崎に立った。そこを最後に外浦から波静かな内浦へ。珠洲からは国道249号で宇出津、穴水を通り、七尾へ。七尾からは国道159号で「能登半島一周」の出発点の羽咋に戻った。
輪島の漆器店
輪島塗の老舗
輪島漁港
輪島と舳倉島を結ぶ定期船
輪島の魚市場のにぎわい
輪島の朝市を歩く
「いしる」が売られている
「むしあわび」と「むしさざえ」
「ニシンのこんか漬」と「塩サバ」
輪島塗の蒔絵師、渡部君の仕事部屋
これが渡部君の仕事道具
夕市の立つ住吉神社
住吉神社の夕市のにぎわい
輪島の「いしる汁」
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