第2弾 茅場町駅〜月島駅
永代橋を渡って門前仲町へ
「江戸探訪」の第2弾目の出発点は、地下鉄の茅場町駅(東西線と日比谷線)。永代通りと新大橋通りが交差する茅場町交差点から永代通りを歩き、隅田川にかかる永代橋を渡った。
永代橋は隅田川にかかる橋の中では両国橋、新大橋に次いで3番目に古い。この橋は深川の表玄関といったところで、当時の絵図を見ると、あふれんばかりの人が永代橋を渡っている。
永代橋を渡って江東区に入ると、「渋沢栄一宅跡」がある。案内板には次のように書かれている。
渋沢栄一は明治から大正にかけての実業界の指導者です。天保11年(1840年)武蔵国榛沢郡血洗島村(深谷市)に生まれました。25歳で一橋家に仕え、のちに幕臣となり渡欧しました。帰国後、明治政府のもとで大蔵省に出仕しましたが、明治6年(1873年)に実業界に転じ、以後、金融・産業・運輸などの分野で近代企業の確立に力をそそぎました。晩年は社会公共事業に貢献し、昭和6年(1931年)92歳で没しました。
栄一は明治9年(1876年)、深川福住町に屋敷を購入し、修繕して本邸としました。明治21年(1888年)には、兜町(中央区)に本邸を移したため、深川邸は別邸として利用されました。
栄一と本区(江東区)との関係は深く、明治22年(1889年)から明治37年(1904年)までは深川区会議員および区会議長を務め、深川区の発展のために尽力しました。また早くから倉庫業の重要性に着目し、明治30年(1897年)、当地に渋沢倉庫部を創業しました。大正5年(1916年)、実業界を引退するまでに500余の会社設立に関与したといわれていますが、本区に関係するものでは浅野セメント(現太平洋セメント)、東京人造肥料(現日産化学)、汽車製造会社、旭焼陶器組合などがあげられます。
「近代日本資本主義の父」、渋沢栄一の足跡にふれたところで、門前仲町の交差点へ。ここで永代通りは前回ふれた清澄通りと交差する。門前仲町の交差点には地下鉄(東西線と大江戸線)の門前仲町駅がある。門前仲町は江戸時代、永代寺の門前町として繁栄したが、今でも深川の中心地になっている。(つづく)