2019年10月9日
オホーツク国道を南下する
2019年10月9日。午前5時、日本最北端の宗谷岬を出発。日本本土の16端をめぐる「日本16端紀行」も、残すのは日本本土最東端の納沙布岬だけになった。
相棒のVストローム250に、いつものように「さー、行くゾ!」とひと声かけて走り出す。
オホーツク海を真っ赤に染めて朝日が昇る。ところが陸地側はザーザー降りの雨なのだ。雨に降られながらオホーツク国道の国道238号を南下する。左手の朝日を見ながら土砂降りの雨に降られるという漫画のような世界を行く。
枝幸を過ぎると大雨の様相。海も陸も大雨だ。
7時、雄武に到着。大雨は降りつづいている。「セイコーマート」で朝食の「サンドイッチ」を食べ、一息ついた。
9時、紋別に到着。ありがたいことに雨は上がる。
11時15分、宗谷岬から310キロの網走に到着。青空が一気に広がる。
網走からは国道244号を行く。
斜里を過ぎると根北峠を越える。北見と根室の国境の峠だ。
「蝦夷」は明治になってから石狩、後志、渡島、胆振、日高、十勝、釧路、根室、北見、天塩、千島の11ヵ国に分国された。根北峠はそのうちの北見・根室国境の峠だが、国道39号の石北峠は北見・石狩国境の峠、国道240号の釧北峠は釧路・北見国境の峠、国道274号の釧勝峠は釧路・十勝国境の峠…というように、2つの国名をつけた峠名が道北や道東の各地にある。
蝦夷はそのときに日本古来の七道(東海道、東山道、北陸道、山陽道、山陰道、南海道、西海道)にならって、「北海道」と名づけられた。日本は「八道」になったが、現在ではそのうちの東海道、北陸道、山陽道、山陰道が街道名として残るのみ。唯一、北海道だけが本来の「道」として残っている。
根北峠を下り、「鮭の町」標津に到着すると、「鮭博物館」の「サーモンパーク」を見学。ガラス越しに遡上するサケを見る。ここでは「サーモンパーク」内にある「サーモン亭」で鮭三昧の「標津鮭定食」を食べるつもりでいた。ところが「サーモン亭」は営業休止でガックリ…。標津からさらに国道244号を走り、道の駅「おだいとう」で北方領土の国後島を眺めながら「海鮮うどん」を食べた。
14時45分、宗谷岬から500キロ走って根室に到着だ。