環日本海ツーリング[69]
Posted on | 2012年5月19日
オクロップとペルメニ、ロシア料理に欠かせないもの
「サハリン州郷土資料館」の見学を終えると、さらにコムニスチーチェスキー大通りを歩き、コムサモーリスカヤ通りとの交差点に出る。このコムサモーリスカヤ通りを南に行けばサハリン上陸の地のコルサコフだ。
交差点のすぐ近くにはロシア正教の教会がある。
ロシア正教の教会というと日本でいえば東京・御茶ノ水のニコライ堂や函館のハリストス正教会がよく知られているが、ともに異国情緒を漂わせている。
本家本元のロシア正教の教会を見て、
「ここはもう異国の地だ!」
と改めて思い知らされる。
コムサモーリスカヤ通りのロシア正教の教会を最後に「ユジノサハリンスク探訪」を終え、「ベルカホテル」に戻ってきた。
さー、みなさんとの楽しい夕食だ。
今日はちょっぴり豪華にシャンペンで乾杯。そのあとロシア産のワインを飲んだ。
夕食はサラダにはじまる。それにはロシア料理には欠かせない香辛料、オクロップがのっている。次に炒飯。これにもオクロップがのっている。最後は水餃子のペリメニで、これにもオクロップがのっている。ロシア料理にオクロップは欠かせない。
ところで餃子というと中華料理を連想するが、水餃子のペルメニはロシアの国民的料理といっていいほどで、2002年のシベリア経由の「ユーラシア横断」ではロシア内で何度、食べたか知れない。日本人の大好きな焼餃子を食べた記憶はなく、すべてが水餃子のペリメニだった。
ちなみに中国でも餃子といえば水餃子と蒸餃子が主で焼餃子はそれほど食べられてはいない。それなのになぜ日本では焼餃子が主流になったのか、じつに興味深いことだ。

コムサモーリスカヤ通りの道標。コルサコフは直進
「ベルカホテル」に戻ってきた
シャンペンで乾杯!
サラダにはオクロップがのっている
炒飯にもオクロップがのっている
水餃子のペリメニにもオクロップがのっている環日本海ツーリング[68]
Posted on | 2012年5月18日
狛犬が並ぶサハリン郷土資料館に興味深い展示を発見
ユジノサハリンスク駅近くの自由市場には大勢の買物客がやってくるので、その周辺には数多くの露店も出ている。そこでは細々としたものが売られているが、ロシア料理に欠かせない香辛料のオクロップが目についた。
自由市場とその周辺の露店群を見てまわったところで昼食。「カフェメトロ」という店に入った。そこはセルフサービスの店。好きなものを取って食べるようになっている。黒パンとビート、ボルシチがロシア料理を強く感じさせる。肉と肉団子、マッシュポテトがずっしりと腹にたまった。
昼食後は目抜き通りのコムニスチーチェスキー大通りを歩き、サハリン州政府の庁舎前を通り、「サハリン州郷土資料館」を見学する。純日本風の城郭を思わせるような建物。昭和13年(1938年)に建てられた樺太庁の郷土館をそのまま使っている。
入口には2つの狛犬が並んでいる。旧樺太神社のものか。館内には北緯50度線上に置かれていた日本と旧ソ連国境の2つの標石が展示されている。それには「大日本帝国 境界」と彫り刻まれている。
興味を引かれたのはニブヒ(ギリヤーク)族などの北方民族のコーナー。その紋様は北海道遺産にも指定されているアイヌの紋様にそっくりだ。

サハリン州政府の庁舎
「郷土資料館」を見学
屋外には旧日本軍の戦車が置かれている
「サハリン州郷土資料館」入口の狛犬
北緯50度線上に置かれていた旧国境の2つの標石
北方民族の皮製の袋
北方民族の皮製の靴
北方民族の紋様環日本海ツーリング[67]
Posted on | 2012年5月16日
市場には物があふれ、経済は活気に満ちている
ユジノサハリンスク駅からまずは駅前のレーニン広場へ。
ロシア本土では大半のレーニン像が倒されたのにもかかわらず、ユジノサハリンスクでは健在。見上げるような巨大なレーニン像がそのまま建っている。噴水のあるレーニン広場は市民の絶好の憩いの場だ。
次にユジノサハリンスク駅近くの自由市場を歩く。
野菜売場、果物売場、水産物売場と見てまわったが、物は豊富で市場内には活気があふれている。目立つのは在サハリンの朝鮮人たち。とくに女性。彼女たちはサハリン経済を牽引しているかのような元気さだ。
自由市場の様子は20年前とは大違い。
1991年に来たときは、あまりの物不足でサハリンの人たちがかわいそうになるほどだった。
自由市場には貧弱な野菜が並び、魚、肉はほとんどなく、木イチゴの実が目についた程度。当時、サハリンでは餓えが心配されていた。
あのときの自由市場が目に焼きついているので、物のあふれかえる2012年の自由市場の光景は「サハリンは変った!」と実感させるものとなった。

ユジノサハリンスク駅前のレーニン広場
レーニン広場のレーニン像
レーニン広場の噴水
ユジノサハリンスク駅近くの自由市場を歩く
野菜売場
スイカが山積み
果物売場
サケなどの燻製が並ぶ
カニとエビの売場
山積みにされたイクラ
鮮魚も売られている
ハムとソーセージの売場
衣類も売られている環日本海ツーリング[66]
Posted on | 2012年5月15日
為替レートにもロシアの現代史を垣間みる
「ユジノサハリンスク探訪」を開始。まずはユジノサハリンスク駅に隣あっている「ユーラシアホテル」で両替する。1万円で3500ルーブル。1ルーブルは2・8円だ。
なんとも今昔の感がある。
ぼくが初めてロシアを旅したのは1977年。横浜から船でナホトカに渡り、列車でシベリアを横断した。その当時の1ルーブルは420円。1USドルよりもはるかに高かった。それが1991年にバイクでサハリン南部をまわったときは、ソ連経済の極度の不振もあって1ルーブルは5・5円に急落していた。2000年のバイクでの「サハリン縦断」の時は1ルーブル4・3円、そして今回の2011年が1ルーブル2・8円。この30数年間でルーブルは対円レートで150分の1まで下落したことになる。
ルーブルを通してソ連、ロシアの現代史が見えてくる。
ルーブルを手にしたところで、ユジノサハリンスク駅の構内を歩く。
ホームには北緯50度線を越えたサハリン北部のノグリキ行きの列車が停車していた。2000年の「サハリン縦断」はサハリンを往復縦断した。往路編はバイクでノグリキからオハまで行き、復路編ではノグリキ駅でバイクを貨車に積み、列車でユジノサハリンスク駅に戻ってきた。それだけに何とも懐かしいユジノサハリンスク駅なのだ。
そのときはユジノサハリンスク駅に到着すると地下のバーでロシア・ビールの「バルチカ3」を飲んだ。今回も同じようにしようと地下のバーを探したが見つからなかった。そこで地上に戻るとキオスクで「バルチカ3」を買い、待合室で飲み干した。
ユジノサハリンスク駅に隣接した広場にはサハリン鉄道の列車が展示されている。鉄道ファンにはたまらない場所。ロシア製の蒸気機関車や日本製のD51、ロータリー車などを見てまわった。

ユジノサハリンスク駅隣の「ユーラシアホテル」
ユジノサハリンスク駅
ユジノサハリンスク駅の時刻表
ノグリキ行きの列車
ノグリキ行き列車の機関車
ユジノサハリンスク駅のキオスク
ロシア製の蒸気機関車
日本製のD51
ロータリー車環日本海ツーリング[65]
Posted on | 2012年5月14日
日本時代の痕跡残るユジノサハリンスクを観光する
ユジノサハリンスクの「ベルカホテル」で朝食を食べると、午前中はマイクロバスでの市内観光だ。
まずは郊外のスキー場の展望台に登る。ここは昔の旭ヶ丘の展望台。ここからはユジノサハリンスクの市街地を一望する。ススヤ川流域に開けた碁盤の目状の町並みがよくわかる。日本時代の樺太庁はこの地に豊原の町を造り、樺太統治の拠点にした。それが今のユジノサハリンスクの町だ。
スキー場にはロープウエーが建設中で完成間近。我々はその試運転中のロープウエーに乗せてもらえた。
展望台を下った山裾には戦勝記念碑がある。そこから小道を歩いたところが樺太神社跡。豊原駅(現ユジノサハリンスク駅)から東に延びる大通りは神社大通り(現コムニスチーチェスキー大通り)と呼ばれ、突き当たりに樺太神社があった。今でも山中に石段の跡などが残っている。
樺太神社跡で手を合わせ、戦勝記念碑に戻るとコムニスチーチェスキー大通りを直進し、ユジノサハリンスク駅前でマイクロバスでの市内観光は終了。そこからはプラプラ歩きでの「ユジノサハリンスク探訪」を開始した。
環日本海ツーリング[64]
Posted on | 2012年5月13日
日本車が9割、サハリンは大きく変わった
翌朝は夜明けとともに目をさました。
6時、「ベルカホテル」を出、早朝のユジノサハリンスクを歩く。霧がたちこめ8月とはいってもひんやりしている。
目抜き通りを走る車の9割以上は日本車だ。以前のようなポンコツ寸前の中古車ではなく、新車、もしくは新車のような中古車も多く見られる。ボルガなどロシア製のオンボロ車はすっかり影をひそめた。
サハリンは大きく変った。

木をふんだんに使った「ベルカホテル」
「ベルカホテル」の看板
ホテルの駐車場にズラリと並んだ我々のバイク
早朝のユジノサハリンスクを歩く
並木道を歩く
町中の道標
見かける車はほとんどが日本車
住宅地に入っていく
高層のアパート ユジノサハリンスクはサハリン州の州都。日本時代の豊原だ。
サハリン州はサハリン本島のほか千島列島などを管轄している。サハリン州の人口は54万人、そのうちユジノサハリンスクの人口は20万人にもなる。
サハリン本島は南北に細長く、約950キロに達する。それに対して東西の幅は狭く、最大で約160キロ、最少では26キロでしかない。
面積は7万6400平方キロで北海道の約9割ほどである。
ユジノサハリンスクの町並みは碁盤の目状で、日本時代につられた町並みとそれほど変わりがない。「小札幌」といったところだ。そんなユジノサハリンスクの町並みを1時間ほどプラプラ歩き、「ベルカホテル」に戻った。
環日本海ツーリング[63]
Posted on | 2012年5月11日
肉主体の夕食にウォッカと宗谷を越えた食文化を実感
コルサコフ港には通訳兼ガイドの東さんが我々を待ち構えていた。
我々よりも先にサハリンに渡り、サハリン南部をまわった小林さんがセローに乗ってやってきた。ワジムさんの運転するサポートカーもやってきた。
コルサコフ港に到着してから3時間後の20時30分、州都のユジノサハリンスクに向けて出発。スズキDR-Z400Sには「頼むぞ!」とひと声かけ、サポートカーについて夜道を走る。
「コルサコフ→ユジノサハリンスク」はサハリン一番の幹線だが、2000年の「サハリン縦断」のときと比べると、道幅は広くなり、交通量も格段に多くなっている。
ユジノサハリンスクまでは43キロ。21時30分の到着だ。
ユジノサハリンスクでの宿は「ベルカホテル」。かつてのサハリンでは想像もできないような快適なホテル。部屋に荷物を入れると、レストランで夕食。
道祖神の菊地さんの発声で「乾杯!」。
いやー、ビールがうまい。
夕食はまずはロシアの伝統的なスープ「サリャンカ」。トマト風味のスープで上にサワークリームがのっている。中身は牛肉やベーコン、サラミ、野菜類。ロシア料理にはかならずついてる香辛料のオクロップ(フェンネル)の葉が特有の香りを漂わせる。つづいてビート(砂糖大根)のサラダ、そしてメインディッシュのステーキを食べる。
前夜の稚内での「魚三昧」の食事とはガラリと変わって「肉三昧」。これが宗谷海峡をはさんでの食文化の違いだ。
レストランでの夕食を終えると、有志で集まり、ウォッカパーティー。こうしてサハリンでの最初の夜は更けていった。
環日本海ツーリング[62]
Posted on | 2012年5月10日
0.39マイクロシーベルトで警報音が鳴り響く
コルサコフ港での入国手続きは延々と時間がかかった。これがロシア式。じっと辛抱して待つしかない。我々、「環日本海ツーリング」のバイク軍団は最後になったので、よけいに時間がかかった。
辛抱したかいがあってまずはイミグレーションでの入国手続きが終了。
つづいて税関での検査。ここで問題発生。メンバーの1人が放射能チェックでひっかかったのだ。まるで空襲警報のような音が検査場内に鳴りひびき、彼の持物全部が別室で調べられた。
ガイガーカウンターで荷物ひとつづつを調べられたとのことだが、その結果、放射能源は何とバイクカバー。その数値は0・39マイクロシーベルト。それを聞いたとき、「0・39」ぐらいでこれだけ大騒ぎするのかと驚いた。
「環日本海ツーリング」の前には東北の太平洋沿岸を走った。
爆発事故を起こした東電の福島第1原発の20キロ圏は立入禁止で国道6号は通行止になっていた。その迂回路として国道399号で阿武隈山地を北上。浪江町の津島から峠を越えて飯舘村の長泥に下った。
この一帯は原発爆発事故の影響をモロに受けたところで、5月11日の時点で津島は20マイクロシーベルトを超え、長泥は10マイクロシーベルトを超えていた。それでも国道399号は通行止にはならず、普通に通行できたのだ。
津島や長泥の放射線量はコルサコフの税関を大騒ぎさせた「0・39」とは桁違い。コルサコフの税関職員が10とか20という数値を知ったら、きっと腰を抜かさんばかりに驚くことだろう。
放射能チェックでひっかかった荷物は没収され、日本に送り返されることになった。サハリンでは処分できないのだという。たかだか「0・39」なのに…と思ったが。
バイクの方は全車が放射能チェックにひっかかることもなく、無事に受け取れた。
まずはサハリンの第1歩、港周辺を歩き、2、3軒の店をのぞいて見てまわる。
店内を一目、見ただけで2000年の「サハリン縦断」のときよりも、はるかにモノが豊富になっているのがわかった。この10年あまり、サハリンは石油景気、天然ガス景気で湧いた。










































































