[1973年 – 1974年]
赤道アフリカ横断編 12 ラモルディ・トロディ[ニジェール] → アクラ[ガーナ]
ニジェールからオートボルタへ
交通量のほとんどない道をひたすら歩く。オートボルタ側の国境の村、カンチャリまで歩きつづけるつもりでいたが、ラッキーなことにトラックが通りがかり、乗せてもらえた。
カンチャリでの入国手続きはしごくあっさりとしたもので、用紙への記入もなく、パスポートにポンとスタンプを押されただけ。それでおしまいだ。
カンチャリの村はずれの家で泊めてもらい、翌日は首都のワガドーグに向かっていく。雨期のオートボルタ、空は一面、厚い雨雲に覆われている。
前日にひきつづいての「ラッキー!」で、歩きはじめてすぐ、ワガドーグまで行く小型トラックに乗せてもらえた。カンチャリからワガドーグまでは400キロ以上ある。
車のオーナーは老人で、荷台には何人かの乗客が乗っている。自分だけがタダで乗せてもらうので、申し訳ないような気分になる。
雨が降ってくる。
やがて激しさを増し、大粒の雨滴がフロントグラスを打つ。
カンチャリから150キロ、昼前にはファダ・ングルマに着いた。老人は町のバーに連れていってくれた。そこで一緒にビールを飲んだ。この町で用事を済ませ、夕方には出発するという。
首都ワガドーグに到着
そのバーではパキスタン人のイスマイリさんに会った。国連のFAOから派遣された人で、オートボルタの農業開発に携わっている。イスマイリさんはすぐにワガドーグに向けて出発するという。彼は老人にいってくれ、ファダ・ングルマからはイスマイリさんの車でワガドーグに向かった。
経度0度線を越える。
東半球から西半球に入ったのだ。
国境からずっとダートだったが、クペラを過ぎると、舗装路に変る。クペラはトーゴの首都ロメに通じる道との分岐点にもなっている。
白ボルタを渡る。
雨期の白ボルタは氾濫し、平原は一面、水びたしになっている。
ガーナの首都、アクラの東でギニア湾に流れ出るボルタ川は上流が白ボルタ、黒ボルタ、赤ボルタと3本の流れに分かれている。ボルタ川がオートボルタの国名になっている。オートボルタの国旗は上から黒、白、赤の三色旗だが、その色もボルタ川の3本の流れからきている。オートボルタはまさに
「ボルタ川の国」なのだ。
ワガドーグに着いたのは夜になってからだった。
その夜はイスマイリさんの家で泊めてもらい、夕食をご馳走になった。蚊帳つきのフワフワのベッドで、久しぶりに快適に寝ることができた。
次の日もイスマイリさんの家で泊めてもらった。午前中は中心街を歩き、午後はイスマイリ夫妻に郊外の湖まで連れていってもらった。
ギニア湾だ!
ワガドーグのガーナ大使館でビザを取り、ガーナの首都、アクラに向かう。なんと一発でガーナのクマシまで行くトラックに乗せてもらえた。
そのトラックはナイジェリアのカノから来たもので、ハウサ族の青年が運転していた。ワガドーグから南へ。一本道はアクラに通じている。舗装路でかなりの交通量がある。
赤ボルタを渡る。ボルタ川の本流は黒ボルタだが、黒ボルタと白ボルタはガーナのアコソンボダムによってできたボルタ湖で合流する。赤ボルタはその手前で白ボルタに流れ込む。
ガーナ国境に通じる道はポー・ナショナルパーク内を通過していくが、道路沿いでは何頭かの象を見た。
国境を越え、オートボルタからガーナに入る。両国の出入国手続きはじつに簡単なもので、ほとんど時間がかからなかった。国境に近いボルガタンガの町のトラックターミナルでひと晩、泊まった。
翌日もハウサ族の青年の運転するトラックに乗せてもらい、南下していく。
緑がどんどんと濃くなってくる。
1日に何回となくザーっと激しい雨に降られる。
白ボルタを渡り、ガーナ北部の中心地、タマレの町を走り抜けていく。アコソンボダムの人造湖、ボルタ湖を135トンという大型フェリーで渡る。
ガーナ第2の都市、クマシに着いたのは夜になってからだった。
トラック内で寝かせてもらい、翌日、アクラへ。
クマシから250キロ、アクラに到着すると、海岸に急いだ。
鉛色の海を見たときは感動のあまり、
「おー、ギニア湾だ!」
と、思わず声を上げた。