賀曽利隆の200万キロへの道[55]

2026年2月4日

「生涯旅人カソリ」の原点

 国道128号で鴨川市から勝浦市に入った。この鴨川・勝浦の市境が安房・上総の房総国境になっている。

 勝浦市の興津を過ぎたところが懐かしの鵜原。鵜原海岸でVストローム250SXを止めた。ここは「生涯旅人カソリ」の原点だ。

 高校3年の夏休みのことだった。友人の前野幹夫君らとテントや食料を持って鵜原海岸でキャンプした。その時、我々は「アフリカに行こう!」と思い立ったのである。翌年に大学受験を控えていたが、我々は「アフリカに行こう!」とアフリカに夢中になった。

 それから2年後の1968年4月12日、カソリと前野幹夫君の2人は、2台のスズキTC250と共に横浜港からオランダ船の「ルイス号」に乗ってアフリカへと旅立った。それ以来、58年に及ぶカソリの旅人生はつづいている。

 そんな鵜原から勝浦の町中に入っていく。勝浦の地名は南紀と四国にあるが、ここの漁民の先祖は四国から渡ってきたといい伝えられている。勝浦は「黒潮文化圏」。漁港としての歴史は古く、外房でも屈指の水揚高を誇っている。

 勝浦は朝市で有名。400年以上の歴史を持つここの朝市は「日本三大朝市」のひとつに数えられている。

 勝浦漁港から八幡岬へ。勝浦湾の東側に突き出た岬だ。展望台には徳川家康の側室「お万の方」の像が建っている。

 要害の地の八幡岬は勝浦城跡。お万の方はこの城の姫だった。落城の際、お万の方は断崖に布をたらし、海上に逃げのびることができた。そのため、今でもこの断崖は「お万布さらし」といわれている。

 お万の方といえば、徳川御三家のうち、紀州家の藩祖(頼宣)と水戸家の藩祖(頼房)を産んだ女性。「お万の方」を通して外房の勝浦と和歌山、水戸がつながっているのが歴史のおもしろさ。もし、お万の方が落城とともに命を落としていたら、今の和歌山や水戸はまったく違う町になっていたかもしれない。歴史の「もし」はおもしろい!

 勝浦から御宿へ。御宿海岸の砂浜には「月の沙漠像」が立っている。

 大原を過ぎたところでは太東崎に立った。岬の南側に目を向けると、夷隅川の河口がよく見える。その向こうには大原の八幡岬。北側に目を向けると、どこまでも延びる九十九里浜の海岸線が霞んで見える。

 一宮町の一宮では、上総一宮の玉前(たまさき)神社を参拝した。