能登半島を行く[60]

2024年5月15日 – 17日

町野町は壊滅し、手つかずの状態

 国道249号で珠洲市に入ると、中心地の飯田の町に入っていく。飯田からさらに国道249号を行き、珠洲市経念の古麻志比古(こましひこ)神社へ。国道沿いの経念のバス停前にある。鳥居も拝殿も残ったが、神社はかなり荒れていた。

 古麻志比古神社の参拝を終えると国道249号で飯田に戻り、海沿いの県道28号で須須(すず)神社へ。珠洲の地名の由来にもなっている須須神社だが、入口の大鳥居は倒壊している。その先の鳥居をくぐり、参道を歩き、石段を登って拝殿へ。拝殿にはそれほど被害は見られなかった。

 須須神社から飯田に戻ると、珠洲道路→県道6号で輪島市の町野町へ。町は壊滅し、大地震から138日たっているが、ほとんど手つかずの状態。そんな町野町をグルグルまわったが、式内社の石瀬比古(いわせひこ)神社を見つけることはできなかった。

 信号機が消えたままの交差点にあるGSは営業していたので、そこで給油し、石瀬比古神社を聞いた。すると、ちょうど給油中だったゴミ収集車のお二人が「それならサンサにあるよ」と教えてくれた。町野から3キロほどだという。

「ちょうど収集が終わったので神社まで案内しよう」と言ってくれた。助かった。心やさしき能登人よ。

「サンサ」は難解地名で「真久」と書く。その真久の家並みの途切れるあたりに石瀬比古神社はあった。鳥居は倒れ、荒れ放題の状態。それでも神社前の水田では田植えが終わっていた。

 町野町にはもう1社、式内社がある。西時国の石倉比古(いわくらひこ)神社だ。霊山の石倉山(357m)にある。石倉山の山上には北陸観音霊場第16番札所の岩倉寺と式内社の石倉比古神社が並び建っているという。狭路の舗装林道を登っていったが、大地震による落石、山崩れの連続で、身の危険を感じてそれ以上登るのは断念した。

 町野町を後にすると、県道6号→珠洲道路→県道1号で輪島に向かった。