[1973年 – 1974年]
赤道アフリカ横断編 14 アビジャン[コートジボアール] → モンロビア[リベリア]
パームオイルの工場長
1974年8月7日、コートジボアールの首都アビジャンを出発。
左手には時々ちらりとギニア湾の入江が見えてくる。バナナやパイナップル、油ヤシの広大なプランテーションがつづく。
高速道路のような道で交通量も多い。
ダブーを過ぎたところで日暮れ。夜道を歩きつづける。道路沿いにパームオイルの工場を見つけると、そのそばで寝ようと地面に寝袋を敷いた。腹が減った…。
寝袋に入って眠りかけたときのことだ。
パームオイルの工場を巡回している警備員がやってきた。すごくいい人で、工場のすぐ近くに工場長の家があるので、一緒に行こうといってくれる。
信じられないことだったが、工場長のティットさんの家に行くと大歓迎され、ひと晩、泊めてもらった。シャワーを浴びたあとは夜食までご馳走してくれた。そのあとビールを飲みながらティットさんと話す。フランス語のほかに英語も話せる。
「これは日本製のテレビだよ」
といって、一緒にNECのテレビでフランス語訳のアメリカ映画を見た。
翌日はティットさんに油ヤシのプランテーションを見せてもらい、さらにパームオイルの工場を案内してもらい、油ヤシの実から油を取り出すまでの一連の工程を見せてもらった。
この工場では油ヤシの実からパームオイルをつくるだけでなく、種からは石鹸の原料をつくり、主にフランスに輸出していた。従業員は200人ほど。コートジボアールにとっては大企業の部類に入る。
昼食も工場内の食堂でご馳走になり、ティットさんに見送られて北のヤムソクロに向かった。
コーヒー工場で寝る
パームオイル工場の近くからはポリスの車に乗せてもらった。イタリアのアルファロメオだ。サイレンこそ鳴らさなかったが、猛烈なスピードで突っ走る。ヤムソクロに着くと、2人の警官に口々に「気をつけて旅をつづけるように」といわれた。
この町はウフエ・ボアニ大統領の生まれたところで、街路灯が整備され、ほかの町々に比べるとひときわきれいだった。さすが大統領の生誕地は違う。
この町で街道は2本に分岐する。北に行く道はコートジボアール第2の都市ボアケを経由し、マリに通じている。西に行く道がダロアを経由し、リベリアに通じている。
ダロアに通じる夕暮れの道を歩き、30キロほど先の村まで行くトラックに乗せてもらった。トラックはその村にあるコーヒー工場に入っていった。
トラックの運転手が頼んでくれたおかげで、そのコーヒー工場の片隅で寝かせてもらった。こうして屋根の下で寝られるだけありがたい。その夜はさんざん蚊にやられたが。
前夜はパームオイル工場。今夜はコーヒー工場。コートジボアールは世界でも有数のコーヒーの生産国だ。
翌日、ダロアに向かったが、マリのシカソからやってきた車に乗せてもらった。運転しているのはマリのバンバラ族の人。いくつもの国々が国境を接している西アフリカでは、国境を越えた人の行き来が盛んだ。
「中国農耕隊」の農場に泊まる
ダロアからドゥエクエ、ギグロを通ってリベリア国境に向かった。国境の町トゥレプレ近くには「中国農耕隊」の農場があった。台湾政府が農業指導している農場。野菜畑では様々な野菜が作られ、稲作の水田もある。そこでは何種もの稲がつくられていた。
そんな「中国農耕隊」の農場でひと晩、泊めてもらった。豪勢な夕食。何種類もの野菜料理。野菜に飢えているので、ここぞとばかりにいただいた。ふんだんに豚肉を使った肉料理、川魚料理。夕食後は台湾から来ている楊さん、頼さんと夜遅くまで話した。2人は日本語も少し話せるので、中国語、英語、フランス語、日本語の入り混じった会話だった。
翌朝は朝食のあと、楊さん、頼さんは車でトゥレプレのポリスまで送ってくれた。
「再見!」
楊さん、頼さんと別れ、ポリスでコートジボアールの出国手続きをし、リベリア国境に向かって歩いていった。
クシャクシャのドル紙幣
熱帯雨林の中を滔滔と流れる川にかかる橋がコートジボアールとリベリアの国境。橋を渡ってリベリアに入った。
リベリアに入るとお金がフランからドルに変わった。
リベリア・ドルの紙幣はアメリカドルそのもの。それも新札を見ることはほとんどなく、使い古されたクシャクシャの紙幣がほとんど。まるで中古のドル紙幣を見ているかのよう。このドル紙幣をアメリカに持っていったら、使えないのではないかと思わせるほどの状態の悪さだ。
コインはリベリア・ドルのものもあったが、アメリカ・ドルのコインも普通に使えた。
密林がつづく。密林が途切れると、ゴム林のプランテーション。密林を切り開いた水田も見られた。
リベリアでのヒッチハイクはきつかった。車は通りかかっても乗せてくれない…。
そのため降りつづく雨の中を歩いて、歩いて、歩きつづけた。
疲れきってタピタまではミニバスに乗った。すっかり暗くなった頃、タピタに到着。ひと晩、警察で泊めてもらった。
タピタからはギニアとの国境の町ガンタへ。
そこから首都モンロビアに向かった。
バルンガからはゴムを積んだトラックに乗せてもらう。猛烈な臭気。天然ゴム自体には臭いはないが、長く野積していたせいでカビだらけになっている。それが臭うのだ。
ゴムの臭いまみれになってモンロビアに到着。リベリアの首都モンロビアは大西洋の港町。
コートジボアールとリベリア国境のパルマス岬を境に、海はギニア湾から大西洋に変わった。