カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記

番外編 江の川の峠 1

投稿日:2011年1月28日

2010年 林道日本一周・西日本編

 広島の山崎さんから次のようなうれしいメッセージをいただいた。
 その全文を紹介しよう。

 赤柴林道は、未だにガレガレの悪路です。賀曽利さんが走られた後の、この夏の大雨で更に悪路になりましたが、今は少しだけましになっています。
 こうして見ると、広島は山が迫っているところなんですね。昔、横浜の友人が遊びにきて「すぐに林道に行けるからいいところだね~」と言われ、独特の環境に気がつきました。
 それと「上根峠」。さすが「峠のカソリさん」ですね。正式名がない峠と知っている人は、いませんよ! 
 地元の人達も自分たちも「上根の峠」とか「上根にある峠」と呼んでいますよ。
 あんなに大きな峠なのに名前がないのは不思議です。しかも(山陽と山陰を分ける)分水嶺なのでよけいに不思議です。
 生まれて初めて江の川の流れが日本海側に向かっているのを見た時に、三次市の方が山奥なのに
「何で!?」
 と、とっても不思議な気分になりました。
 分水嶺も広島県を蛇行して南北に二分する様に通ってるんですよね。
 それと「千代田温泉」!
 賀曽利さんのおかげで、林道ライダー達には有名な温泉になってますよ。

 山崎さん、メッセージをありがとうございます。
 ということでここでどうしても、山崎さんのメッセージにもある広島県内を二分する中央分水嶺の話をしたくなった。江の川をとりまく分水嶺というのは、本文でもふれたことだが、日本でもきわめて稀な例になっている。
 ちょうどいいというか、まさにその中央分水嶺の峠を越えたときの記録が残っているので紹介したい。
 これは『月刊オートバイ』で長期連載をした「賀曽利隆の峠越え」からのもの。少し長くなるが、「番外編」としてお付き合いいただきたい。

 まずは「江の川の峠」(その1)である。

『月刊オートバイ』1992年10月号より

「賀曽利隆の峠越え」はいよいよ西へ。

 本誌で峠越えをはじめたのは1975年3月のこと。信じられないことだが、もう17年も前のことになる。その間、北海道、東北、関東、中部、近畿と900あまりの峠を越えたが、今回が初めての、中国地方を舞台にしての峠越えになる。
 それだけに新しい世界に入っていく喜びというのか、体がゾクゾクッと震えるような緊張感もあって、高揚した気分を感じる。
 中国地方の第1弾目は「江の川の峠」。
 中国地方最大の川、江の川をとりまく山並みの峠だ。

まずは地球元気村だ!

「江の川の峠」に出発したのは1992年5月16日。
 目的地の中国地方に行く前に、山梨県早川町の地球元気村に寄り道をする。
 ぼくが住んでいるのは神奈川県の伊勢原市。自宅前から峠越えの相棒のスズキDR250Sを走らせ、相模湖ICで中央道に入り、甲府昭和ICで高速を降りた。
 そこから真っ直ぐ早川町に向かっていくのではおもしろくないので、櫛形山林道→丸山林道経由で行くことにした。自販機のカンコーヒーを飲みながら地図を見ていると、何とワンダバ長沢のDTが停まっている。そこには『月刊オートバイ』の本多さんもカメラマンの落合さんもいる。みなさんも地球元気村に行くところだった。
「旅は道連れ」とばかりに、一緒に林道を走り、夕闇が迫るころ風間深志さんの地球元気村に着いた。
 じつはぼくは講師で呼ばれていたのだが、1時間あまりの話を終えると、参加者のみなさんと広場の焚き火を囲んでの大宴会になった。
 あっというまに真夜中になり、大宴会がお開きになったのは夜明け近く。それから1時間、速攻でゴロ寝し、目が覚めると早川で「渓流浴」をした。そのあと20人あまりの参加者のみなさんとロングダートの雨畑井川林道を走った。山梨・静岡県境の山伏峠を越え、大井川河畔の小河内の集落まで行き、そこで折り返して往復した。地球元気村に戻ると、今度は国道52号で韮崎へ。夕暮れの韮崎で参加者のみなさんと別れた。
 韮崎ICで中央道に入り、西へ、西へと夜通し走ったが、2夜連続でほとんど寝てないので、猛烈な睡魔に襲われる。
 睡魔と戦いながら中央道→名神→中国道と突っ走る。途中、わずかな仮眠で走りつづけ、5月18日の早朝、広島県の三次ICに到着。ここで中国道を降り、「江の川の峠」の拠点となる三次の町に入っていった。

まっ平な上根峠

 三次盆地の中心の三次は、まさに「江の川の町」。ここで江の川の本流と、支流の神野瀬川、西城川、馬洗川が合流する。まるであっちからも、こっちからもという感じで、大きな川が三次に集中する。それだけに昔から三次は大水害に泣かされてきた。
 ところで全長194キロの江の川は、三次よりも上流は「可愛川(えのかわ)」と呼ばれている。この可愛川に沿って国道54号を走りはじめる。
 国道54号は瀬戸内海に面した広島と、日本海に近い松江を結ぶ中国縦貫の幹線で交通量が多い。天気は晴れ。DRのエンジン音も快調。可愛川の流れを見ながら気分よく走る。
 甲田、吉田と通り、八千代町に入る手前で国道54号は可愛川と分れ、支流の簸の川沿いの道になる。
 簸の川に沿いに国道54号を走っていくと、簸の川は次第に小さな流れになっていく。そして上根の峠に到達。そこには「分水嶺」の大きな看板が立っている。日本海に流れ出る江の川の水系と、瀬戸内海に流れ出る太田川の水系を分ける分水嶺なのだ。
 上根の峠は本州を大きく二分する峠にもかかわらず、ほぼまっ平な地形なのだ。
「えー!? ここが峠??」
 といいたくなるほど。
 分水嶺の看板がなければ、気がつかないまま、峠を下ってしまうところだった。
 それほど平坦なので上根の峠には名前がない。だが、きわめて重要な峠なので、ぼくはこれからは「上根峠」と呼ぶことにした。
 上根峠周辺の風景を目に焼きつけたところで、広島へと下っていく。広島側の下りは急坂だ。峠下の可部から広島の中心街へ。上根峠から広島までが、あまりにも近いので驚かされてしまった。江の川水系の流れというのは、広島のすぐそばまで来ている。言葉を変えれば、広島は日本海世界のすぐ近くになる。

日本一の温泉宿に泊まる!

 広島で折り返し、国道54号で可部に戻る。JR可部線の可部駅近くの食堂で、「ラーメンライス」の昼食。そしてもう一度、上根峠を越えた。今度は瀬戸内海側から日本海側だ。
 八千代町の佐々井を過ぎたところで国道54号を左折し、江の川本流の可愛川に沿って走る。土師(はじ)ダムの脇を通り、千代田町に入る。江の川の名前だが、ここからは同じ「えのかわ」でも「可愛川」から「江ノ川」になる。
 さて千代田からだが、ここでいったん江の川の本流を離れ、支流の峠を越える。まずは冠川に沿って国道261号を南下し、明神峠を越える。ちょうど峠のあたりだけがスポーンと抜けたような地形で、ゆるやかな登り。中国道も国道261号のすぐ脇を通っている。この峠も山陽と山陰を分ける中央分水嶺の峠だ。
 千代田町と広島市の境の明神峠を越えて広島県側に入ると、さすが100万都市の広島だけあって交通量は急に増えた。
 国道261号から国道191号に入る。大きく蛇行して流れる太田川沿いに走り加計へ。そこからは国道433号で山中に入っていく。国道とは思えないような狭路を走る。
 豊平町に入り、ひとつ峠を越えると、道幅は広がった。そして2つ目の峠を越える。そこには「分水嶺」と彫り刻まれた石碑が建っていて、「山県郡豊平町中原 標高509m」とある。また「陰陽分水嶺」と表示されたポールも立っている。「陰陽分水嶺」というのは、日本海側の山陰と瀬戸内海側の山陽を分ける分水嶺という意味だ。
 峠を下っていくと江の川の支流、志路原川の流れに出会う。この志路原川の流れに沿って走り、千代田に戻った。
 千代田では千代田温泉に泊まった。
 この千代田温泉は日本一の温泉だ。何が日本一かというと、その宿泊費。信じられないのだが、1泊2食の宿泊料金が2700円。温泉宿というと1泊2食1万円ぐらいが普通の今の時代にあって、2700円とは…。千代田温泉は日本一安い温泉宿だ。

広島・島根県境の峠越え

 翌朝は朝風呂に入り、朝食を食べ、8時に出発。千代田から今度は国道261号を北へ、広島・島根県境の中三坂峠を目指す。
 その前に、国道261号を右折して国道433号に入り、千代田町と美土里町の境の峠まで行ってみる。深い森の中を縫って登っていく国道433号は舗装林道のような道。とても国道とは思えない。交通量もほとんどなく、時たまブラインドのコーナーで対向車とすれ違ったりすると、ヒヤッとする。峠まで登ったところで折り返し、国道261号に戻った。
 ふたたび国道261号を北へ。千代田町から大朝町に入る。浜田道の大朝ICの交差点を右へ。そこで江の川本流と分れ、中三坂峠を登っていく。峠近くの鳴滝温泉の湯に入ったあと、広島・島根県境の中三坂峠に立った。峠はトンネルで貫かれている。
 中三坂峠を越えて島根県に入り、峠を下ったJRバスの田所駅で国道261号を右折し、もうひとつの県境の峠、亀谷峠を目指す。
 亀谷峠を越える道は亀谷林道。
「よーし、これでダートの林道を走れるゾ!」
 と喜んだのもつかのま、全線が舗装。峠には「従是南 安芸国」の石碑が建っていた。 亀谷峠を下り、杉林を抜け出ると、谷間の水田地帯に入っていく。田植えの終った水田の風景は何ともいえずにきれいだ。
「おー、これぞ、日本!」
 と、思わずDRに乗りながら声が出た。

江の川源流の三坂峠

 中三坂峠、亀谷峠と、広島・島根県境の2つの峠を越えたあと、国道261号の大朝IC入口の交差点に戻ってきた。
 今度はその交差点を直進し、いよいよ三次からずっと追ってきた江の川の源の三坂峠に向かう。
 大朝の町並みを抜け出ると、江の川本流の流れに沿って走る。江の川本流の流れはどんどん小さくなり、やがてサラサラ音をたてて流れる小川に変る。谷間につづく集落が途切れると、三坂峠への登りがはじまり、標高555メートルの広島・島根県境の三坂峠に到着。峠はスノーシェルターで覆われている。この三坂峠が中国第一の大河、江の川の源なのだ。
 今でこそ、忘れ去られてしまったかのような三坂峠だが、かつてはこの地方で一番、重要な峠だった。江戸時代、岩見・浜田藩の大名行列はこの三坂峠を越えていた。
 ところで国道261号の中三坂峠、亀谷林道の亀谷峠、そしてこの三坂峠は「三・三坂」と呼ばれていた。「三・三坂」を区別するため、この三坂峠を「市木三坂」、国道261号の中三坂峠を「中三坂」、亀谷林道の亀谷峠を「亀谷三坂」と呼んでいたという。
「市木三坂」は峠を下った島根県側の集落の市木に、「亀谷三坂」も峠を下った島根県側の集落の亀谷に由来する。中三坂は「三・三坂」のちょうど中間にあるので中三坂なのだという。

お蓮・勘兵衛の墓

 三坂峠を越えて、島根県の瑞穂町に入っていく。峠を下ったところには、「お蓮・勘兵衛の墓」。そこには案内板が立ち、次のように書かれていた。
「浜田藩下役人同心某の妻お蓮と使用人の勘兵衛が恋仲になり、駆け落ちして三坂峠を越え、芸州(安芸)の大塚(三坂峠下の集落)まで逃げたが、後を追う夫某に捕まった。2人を晴れて夫婦にしようという甘言にだまされ、国境の関所まで連れ戻されたが、2とも首を切られてしまった。夫某はその首を持って市木の代官所に立ち寄り、弔料を置いて浜田に帰った。お蓮と勘兵衛を哀れに思った市木の庄屋は村人たちと一緒になって2人を手厚く葬ったという」
 三坂峠を舞台にした、何とも悲しい物語。その悲恋の物語からもわかるように、この三坂峠には関所が置かれ、市木には代官所が置かれていた。三坂峠越えの街道の重要度がわかるというものだ。
 三坂峠を下り、市木の集落に入っていく。街道沿いには古い家並みがつづく。それとは対照的なのが浜田道だ。中国道と浜田を結ぶ浜田道の巨大な橋脚が、市木の古い町並みとは際立った対照を見せていた。
 市木から国道261号に出、国道沿いのねこ湯温泉でひと晩、泊った。翌日はもう一度、国道261号で中三坂峠を越えて千代田へ、国道54号に出て三次に戻った。まずは江の川本流の峠越えを終えた。

カソリの温泉コーナー
 今回の「江の川の峠・その1」では第1泊目は広島県の千代田温泉、第2泊目は島根県のねこ湯温泉に泊まったが、ともに忘れられない温泉だ。
 千代田温泉は本文でもふれたように、1泊2食2700円という信じられないような安い宿泊費で、日本一安い温泉宿といっていい。
 それもただ安いだけではない。温泉は黄土色した鉄分を含んだ放射能泉で、いかにも体に効きそうな湯なのだ。
 この湯に魅せられて地元の人たちのみならず、遠方からの団体客も来ていた。
 千代田温泉では、湯につかりながら何人もの人たちと話した。まったくの見ず知らずの人とでも、気軽に話せるような雰囲気がこの温泉にはある。ぼくはそんな「湯の中談義」が大好きだが、千代田温泉はきわめて「湯の中談義」をしやすい温泉といえる。
 食事にしても夕食には5品出たし、朝食も満足できるもの。部屋も大部屋でゴロ寝というのではなく、個人用の部屋で気持ちよく寝られた。
 ねこ湯温泉は国道261号の中三坂峠を越えた島根県瑞穂町の臼谷というところにある。国道の脇にポツンとある一軒宿で、よっぽど気をつけていないと、通り過ぎてしまう。ここは1泊2食4000円。おじいさん、おばあさんの老夫婦が細々とやっている。
 宿のおじいさん、おばあさんとの話が心に残る。
「ここは山の中ですから、いろいろな動物がやってきます。キツネやタヌキ、イノシシ、クマもすぐ近くまで来ます。サルも来ます。サルは私たち夫婦をバカにして、悪さをするのですよ。ニワトリは放し飼いにしています。夜は木に止まって寝ています。産み落とした卵を集めるのがちょっと大変です」
 朝食には、その放し飼いにしているニワトリの産んだ卵が出た。自然そのまんまといった感じの卵で、感動と一緒に味わった。
「今ではすっかり村の人口が減りました。年寄りの一人暮らしも多くなりました。昔は年寄り夫婦と子供夫婦、孫たちが一緒に暮らすのはあたりまえでしたが…」
 そう言ったときの老夫婦は寂しそうだった。
 出発するとき、おばあさんは容器に入れたマタタビ酒を持たせてくれた。
「これはね、とっても体にいいんです。元気が出て…。昔から、また旅(マタタビ)に出られますようになんて、ここではそういわれてます」

※その後まもなく、ねこ湯温泉は廃業湯になった。

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