カソリング

生涯旅人、賀曽利隆の旅日記

積丹半島と神威岬2

投稿日:2010年11月23日

積丹半島で海の幸三昧

 積丹半島北西端の神威岬からは国道229号を南下。半島西岸の日本海を見ながらスズキDR-Z400Sを走らせる。交通量は極少。「我が道を行く」といった気分がたまらない。う~ん、これぞバイクツーリング!

神威岬から見る積丹半島の西海岸


積丹半島西岸の海
積丹半島西岸を南下


 その夜は「300日3000湯」のなつかしの温泉、盃温泉の国民宿舎「もいわ荘」に泊まった。湯から上がり、自分一人での「乾杯!」を終えると、夕食をいただいた。ソウハチガレーの焼き魚、ホッケの煮魚、カニ足などのほかにサケのチャンチャ焼きが出た。海の幸三昧の夕食だ。

サケのチャンチャ焼き
ソウハチガレーの焼き魚


盃温泉の国民宿舎「もいわ荘」の夕食
「もいわ荘」の朝食


「もいわ荘」の朝湯に入る
「もいわ荘」を出発


大量のニシンが海面を乳白色に染めていた

 翌日は朝湯に入り、朝食を食べ、「もいわ荘」を出発。盃漁港に立ち寄ったあと、泊漁港へ。この一帯はかつてはニシン漁でおおいに栄え、浜には「鰊御殿」が残されている。そこには真新しい「にしん街道」の木標が立ち、案内板には次のように書かれている。

 ここ泊村では、今から300年ほど前よりニシン漁が始められ、明治中期より大正末期まではニシンの千石場所として栄え、村の発展に大きく寄与しました。
 最盛期は泊村に50を越える漁場があり、ニシンの建網が92ヶ統、網元が個人で造ったミニ漁港(袋ま)もおよそ40ヶ所あったといいます。1ヶ統に要する人数が40人程度ということから、東北の各地から働き手である「ヤン衆」が相当数やって来て、泊の浜も大変な賑わいだったようです。
 春になると、「群来(くき)」という浜言葉があるように、海を埋め尽くすほどの大量のニシンが岸近くまで押し寄せ、産卵のために海の色が一面乳白色に変わり、それに群れ飛ぶカモメ、波間を渡るヤン衆のキリ声、浜ではモッコを背負う人の波…と、壮大なドラマが繰り広げられました。

 

盃漁港のイカ釣り船
ニセコの山々を望む


泊漁港
「にしん街道」の標柱


「鰊御殿」を見学。ここには旧川村家番屋と旧武井邸客殿の、移築、復元された2つの建物がある。旧川村家番屋は明治27年(1894年)に建てられた。鰊番屋は漁場を経営する親方とヤン衆たちとの共同生活をする場で、豪壮な造りには目を見張らされる。
 旧武井邸客殿は大正5年(1916年)頃に建てられた。ニシン漁で莫大な富を得た親方が贅を尽くした造りの客殿だ。それに付随する石蔵では、ニシン漁の漁具などが展示されている。
 そこで目を引くのはニシン漁の魚場の模型。浜には番屋、母屋、客殿、石蔵と並び、そのほか米倉や網倉などがある。釜場や干場もある。漁獲されたニシンの大半は釜場で煮沸され搾られたあと、干場で干され、ニシン粕として出荷された。このニシン粕が日本の農業を支えたといってもいいほどの魚肥で、高値で売買されたのだ。

「旧川村家番屋」の内部


ニシン漁に使われた保津船
泊の鰊御殿


「旧武井邸客殿」の内部
ニシン漁の魚場の模型


石蔵に展示されているニシン漁の漁具
石蔵に展示されているニシン漁の漁具


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