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生涯旅人、賀曽利隆の旅日記

オホーツク沿岸の古代遺跡群

投稿日:2010年4月10日

アイヌとも縄文とも異なるオホーツク文化があった

 網走では網走川河口の左岸側にあるモヨロ貝塚に行った。北海道遺産の「オホーツク沿岸の古代遺跡群」の代表的な遺跡で、北海道では唯一の国指定の史跡になっている。
 ここは3世紀から13世紀にかけてのオホーツク文化の遺跡で、1913年(大正2年)、考古学研究者の米村喜男衛が発見した。縄文文化ともアイヌ文化とも違うオホーツク文化の存在を知った米村は網走に住むことを決め、米村理髪店を開業し、そのかたわら遺跡の調査、研究に没頭した。
 司馬遼太郎の『街道をゆく』の第38巻「オホーツク街道」では、米村喜男衛のことをたんねんに描き、トロイの遺跡を発見したシュリーマンと対比させている。
 モヨロ貝塚は史跡公園になっている。その一角には「土の家」がある。北方民族のギリヤーク(ニブヒ)語で「ドーラフ」という土の家は冬の寒さをしのぐため、半地下式の土室のような造りになっている。夏の間は地上に丸太造り、草葺きの掘立小屋を造って住んだという。モヨロ貝塚に残されている竪穴住居跡はギリヤーク人の冬の家によく似ているという。

モヨロ貝塚
モヨロ貝塚の発掘跡


モヨロ貝塚館
モヨロ貝塚館内の貝塚遺跡


 それほど広くないモヨロ遺跡を歩いたあと、資料館の「モヨロ貝塚館」を見学する。ここは網走市郷土博物館の分館になっているが、館内では発掘当時そのままに復元した貝塚を見ることができる。そこには頭に甕をかぶせ、胸に両手を組み、両足を腹の上に折り曲げ、種々の器物を副えて埋葬された人骨も置かれている。
 モヨロ貝塚につづいて天都山の「北方民族博物館」に行ったが、そこではモヨロ貝塚から出土した多数の土器を見ることができる。
 オホーツク文化はオホーツク海の沿岸を中心として北海道、樺太、南千島の沿岸部で栄えた。
 以前見た、函館の市立博物館の展示が思い出されてならない。
 それは南千島に住むコディアック・アリュート族の3人乗りの皮舟。細身でスマートな船形。櫂もついている。主にラッコ猟に使われたという。荒れ狂う北洋に、この皮舟で乗り出していった北方民族の生活ぶりを胸を熱くして想像した。北方民族はオホーツク海を我が海とし、自由自在に行き来していたのではないか。
 オホーツク文化を知ると、北海道は「北の果て」というイメージは見事に打ち砕かれてしまう。北海道の北には豊かな文化を持った人たちが住んでいる。そんなあたりまえのことを改めて認識させられるのだ。
 網走からは国道238号で能取湖の湖畔を走り、常呂の町を走り抜け、サロマ湖まで行った。このエリアにもいくつものオホーツク文化の遺跡がある。とくに常呂周辺には遺跡の数が多いという。きっとオホーツク人にとっては住みやすい所だったのだろう。
 北海道のオホーツク沿岸はオホーツク人の住む世界。オホーツク人はさらに北の世界と密接に結びついていた。

能取湖


常呂の町並みを見下ろす
サロマ湖


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