Archive for 12月, 2009
番外編 義経北行伝説
平泉から神威岬、そして樺太へ
日高・平取の義経神社
前回の「北海道の馬文化」では、日高・平取の義経神社は「競馬の神様」にもなっているといったが、毎年2月の初午の日、ここでおこなわれる「初午祭」の「矢刺の神事」には大勢の馬牧場の関係者や調教師、馬主など馬に携わるみなさんが参列する。
「矢刺の神事」は馬上からその年の凶方に向かって破魔矢を3本放ち、悪魔を降伏させる神事。その際に放たれた矢を拾うと幸運が訪れるということで、参拝者たちは我れ先にと争って矢を拾う。
義経神社の祭神は義経。これは義経が騎馬武者であり、馬を大事にしたという故事にちなんだ「愛馬息災」、「先勝祈願」の神事なのである。
義経神社の境内には「義経資料館」がある。
義経神社は寛政10年(1798年)、幕府の命を受けた蝦夷地探検家の近藤重蔵がこの地に「義経北行伝説」の残っていることを知り、翌寛政11年に江戸の仏師、橋善啓に義経像を彫らせ、この地のアイヌに祀らせたのがはじまりだという。
「義経北行伝説」はきわめて興味深い。伝説の地は平取のみならず、北海道の各地に点在している。
日高・平取の義経神社
弁慶岬の弁慶像
神威岬
神威岬の神威岩
以前バイク誌の取材で東北の「義経北行伝説」の地を追ったことがあるので、それを紹介しよう。
時代を超越して、日本人の心の琴線に響く義経。だが平家を倒し、源氏に大勝利をもたらした立役者も、兄頼朝の反感をかって都を追われてしまう。義経・弁慶の主従は命がけで奥州・平泉に逃げ落ち、奥州の雄、藤原氏三代目の秀衡の庇護を受けたのだ。
しかし天下を手中におさめた頼朝の義経追求の手は厳しさを増した。
秀衡の死後、その子泰衡は頼朝を恐れ、義経一家が居を構えていた北上川を見下ろす高館を急襲。弁慶は無数の矢を射られ、仁王立ちになって死んだ。義経は妻子とともに自害した。文治5年(1189年)4月30日のことだった。
こうして奥州・平泉の地で最期をとげた悲劇の英雄、義経だが、なんとも不思議なことに、平泉以北の東北各地には、義経・弁慶の主従が北へ北へと逃げのびていったという「義経北行伝説」の地が、点々とつづき、残されている。
それは義経や弁慶をまつる神社や寺だったり、義経・弁慶が泊まったという民家だったり、義経・弁慶が入った風呂だったり。その「義経北行」伝説の地を結んでいくと、1本のきれいな線になって北上山地を横断し、三陸海岸から八戸、青森へ、さらには津軽半島の三厩へとつづいている。三厩には義経寺がある。
「義経北行伝説」はさらに北へとつづく。
津軽海峡を越え、義経・弁慶の主従は対岸の白神から日高の平取へ。
平取には義経神社があり、今でも人々の篤い信仰を集めている。
伝説では平取町二風谷のアイヌ酋長の娘、チャレンカとは激しい恋に落ちたという。
積丹半島に近い日本海側の弁慶岬には、弁慶の銅像が建っている。高下駄をはいて、ナギナタを右手に持っている。岬の近くには「弁慶の土俵跡」が残されている。義経主従がこの地に滞在したとき、地元のアイヌと相撲をとった土俵跡なのだという。弁慶のはいた下駄をまつる弁慶堂もある。
義経を守り抜いた弁慶の体力と気力を神業と信じ、弁慶を守護神としてあがめる風習がこの地には強く残っている。弁慶岬の弁慶像はそのシンボルなのだ。
弁慶岬の北の雷電岬には、「刀掛岩」と呼ばれる大岩がある。それも義経主従がこの地で休憩したときに、弁慶の刀があまりにも大きくて置くことができず、それではと「エイッ」とばかりにひねってつくった岩の刀掛なのだという。「薪積岩」もある。弁慶が背負っていた薪をおろした所が岩に変ったのだという。
義経主従は積丹半島の神威岬から樺太へと船出した。そこからアムール川の河口に渡っていったという。二風谷のアイヌの酋長の娘チャレンカは、義経と出会ってからというもの、すっかり恋のとりこになり、義経にひと目会いたくって神威岬までやってきた。だが義経一行はすでに船出したあとで、嘆き悲しんだチャレンカは海に身を投げた。彼女の体は岬先端の海に浮かぶ神威岩に変ったという。
なんとも壮大で、ロマンに満ちあふれた「義経北行伝説」だが、これは根も葉もないつくり話とは違うと思う。でなければ、これだけキレイな線になって、その線上にこれだけの伝説の地が残るはずがない。
義経・弁慶が生きていたらよかったのに…という日本人の判官贔屓がそれに拍車をかけ、より大きな伝説になったのではないかとぼくはそう思っている。
ということで、カソリ&迫坪(カメラマン)のコンビは「義経北行伝説」を追って北へと旅立ち、「平泉→盛岡」間を走った。
午前5時、東京を出発。カソリはスズキDR250S、迫坪さんはカワサキKDX250Rを走らせ、東北道を北上。平泉前沢ICで高速を降り、10時30分、JR東北本線の平泉駅前に到着した。
まずは駅前食堂「芭蕉館」で名物のわんこそばを食べ、パワーをつけて「義経北行伝説」の第一歩、高館へと向かった。
義経最期の地の高館は、平泉駅からわずかな距離だ。石段を登り、高台に立つと、すばらしい風景が目の前に広がる。足もとを北上川が流れ、対岸の稲田の向こうには北上山地のゆるやかな山並みが連なっている。その一番手前の山が束稲山だ。
鎌倉幕府成立前の文治5年(1189年)、義経はこの館で自刃したことになっているが、「義経北行伝説」ではそうではない。自刃したのは義経の影武者、杉目太郎行信で、義経・弁慶の主従はその1年前に高館から北上川を渡り、束稲山を越え、長い長い北への旅に出たという。(略)
水沢から北上川を渡って江刺へ。そこではさんざん苦労して「弁慶屋敷」を探し当てた。平泉を脱出した義経主従は束稲山を越えたあと、ここに立ち寄り、粟5升を炊いてもらい、空腹を満たしたという。
古い家並みの残る江刺の中心街からは、人首というちょっと怖ろしげな地名の集落を通り、姥石峠を越える。ここも「義経北行伝説」の地で、義経主従は峠で野宿したという。つづいて同じく「義経北行伝説」の赤羽根峠を越えて遠野盆地に下っていく。峠下の上郷一帯がやはり「義経北行伝説」の地。今でも残る「風呂家」は義経主従が入浴させてもらった家なのだという。ここでは風呂家のきれいな奥さまと記念撮影。また、JR釜石線の線路わきにある駒形神社は、赤羽根峠越えで死んだ義経の愛馬「小黒号」をまつっているという。(略)
遠野では「続石」を見た。2つ並んだ石の上に幅7メートル、奥行5メートル、厚さ2メートルという巨石ののったドルメン。それを地元の人は続石と呼んでいる。「これだけの巨石の記念物をつくれるのは、怪力の弁慶をおいてほかにいない」ということで、ここも昔からの「義経北行伝説」の地になっている。
遠野からは立丸峠を越えて川井村へ。ここも「義経北行伝説」の地。義経主従がしばらく滞在したという判官神社に参拝。祭神は義経だ。さらにその近くの鈴ヶ神社へ。ここは義経の妻、静御前をまつっている。この地に静御前の屋敷があったという。
ここを最後に盛岡に向かったが、「義経北行伝説」の地はさらに北へ、北へ、三厩へとつづいている。(略)
ということで「義経北行伝説」は奥州の平泉から蝦夷の神威岬までつづいている。
東北に残る義経縁の地
平泉駅前
平泉の高館義経堂
高館義経堂からの眺め
平泉の中尊寺
中尊寺の弁慶堂
弁慶堂の義経と弁慶の像
奥州街道の終点、三厩の義経寺
義経寺から見下ろす三厩港
三厩の義経渡道之地碑
静内二十間道路の桜並木
春に桜、秋にコスモス
10月15日の静内二十間道路の桜並木
国道235号で日高の海岸線を行く。
新ひだか町に入ったところで、JR日高本線の静内駅前でスズキDR-Z400Sを停め、自販機でカンコーヒーを飲み小休止。ひと息入れたところで、北海道遺産になっている「静内二十間道路の桜並木」へ。
広々とした馬牧場を見ながら道道71号を走り、左折し、桜並木の二十間道路に入っていく。エゾヤマザクラなどの桜が3000本、植えられている。桜並木の幅が20間なので、「二十間道路」と呼ばれるようになった。1間は1.818メートルなので、20間というと36.36メートル。約36メートル幅の桜並木だ。
そんな幅広の道が約8キロ、つづく。
そのうち7キロが直線路。
かつてこの地にあった宮内省の御料牧場を視察する皇族たちのためにつくられた道だという。あまりの広さに地元の人たちもきっとびっくりしたことだろう。
大正5年(1916年)から3年をかけて道の両側には約3000本の桜が植えられた。この日本一の桜並木の桜を見ようと、毎年、日本全国から20万人もの花見客がやってくる。ちなみに今年は5月4日に開花し、5月6日には満開宣言が出された。
5月上旬の花の季節には「しずない桜まつり」が開催され、期間中には明治42年に建てられた皇族らの貴賓館「龍雲閣」が公開される。
この二十間道路の桜並木は秋には秋桜の「コスモスロード」に変身。2万3000本の秋桜を見ようとやはり大勢の人たちが訪れる。
ぼくが静内に到着したのは、桜の季節にはほど遠い10月15日。桜はもちろん見られなかったが、秋桜の方も、ほとんど終っていた。
ところでスズキDR-Z400Sを走らせての「北海道遺産めぐり」は我が「60代編日本一周」の一環だ。
この「60代編日本一周」は昨年(2008年)10月1日にスタートさせた。まずは3ヵ月をかけ、125ccスクーターのスズキ・アドレスV125Gを走らせ、約2万キロの「日本一周」を成しとげた。それが第1部になる。
今年の4月1日には第2部を開始。そのパート1では「四国八十八ヵ所めぐり」をした。パート2では「西国三十三ヵ所」、「坂東三十三ヵ所」、「秩父三十四所」の「日本百観音霊場めぐり」をした。パート3では「東京→大垣」の「奥の細道めぐり」をした。そしてパート4が「北海道遺産めぐり」ということになる。
ところで「四国八十八ヵ所めぐり」では東京・日本橋を出発し、京都・三条大橋まで東海道を走った。京都からは大阪、高野山をめぐり、和歌山から徳島にフェリーで渡り、「四国八十八ヵ所」をめぐった。
このときの「東京→京都」の東海道がよかった。
北上する桜前線に向かって走っていったのだが、関東では2、3分から5分咲ぐらいだった桜が箱根峠を越えて静岡に入ると7分咲から8分咲になり、愛知に入ると満開になった。途中、伊勢神宮にも寄ったが、岡崎から京都までは満開の桜を見ることができた。
東海道の「桜前線」の写真を見てもらおう。
桜前線とともに走る

保土ヶ谷宿・境木地蔵の桜(4月1日2分咲)

藤沢宿・遊行寺の桜(4月1日3分咲)

小田原宿・小田原城の桜(4月1日5分咲)

三島宿・三島大社の桜(4月2日7分咲)

沼津宿の桜(4月2日7分咲)

府中宿・駿府城の桜(4月2日7分咲)

路小夜の中山の桜(4月2日7分咲)

浜松宿・浜松城の桜(4月2日8分咲)

吉田宿・豊橋公園の桜(4月3日満開)

岡崎宿・岡崎城の桜(4月3日満開)

阿野の一里塚の桜(4月3日満開)

宮宿・名古屋城の桜(4月4日満開)

桑名宿・桑名城の桜(4月4日満開)

四日市宿・日永の追分の桜(4月4日満開)

伊勢神宮の桜(4月5日満)

亀山宿・亀山城の桜(4月5日満開)

水口宿の桜(4月5日満開)

京都の桜(4月6日満開)
「桜前線」は3月中旬ごろ九州南部をスタート。四国、関西、中部、関東、東北と北上し、4月下旬ごろには北海道に上陸する。函館公園や五稜郭公園、松前公園を皮切りに、5月上旬の札幌・円山公園、登別桜並木、静内二十間道路の桜並木、5月中旬の旭川・旭山公園、帯広・緑ヶ丘公園、5月下旬の塩狩峠一目千本桜、釧路・別保公園、厚岸・子野日公園。そして6月上旬の根室・北隆寺の桜へと北上していく。北隆寺の桜は「日本一遅い桜」で知られている。
この「桜前線」を追って日本列島を北上するのは、きわめて面白い旅の仕方だ。
信州・伊那谷の馬肉料理
賢明な伊那人だからこそ……
桜鍋
日本の馬肉料理の本場といえば、信州の伊那谷だ。「北海道の馬文化」への参照ということで、2002年の夏、バイク誌の取材で信州・伊那谷に馬肉料理を食べに行ったときの記事を紹介しよう。
それも無性に食べたくなったのだ。
馬刺しといえば、熊本や東北の各地にそれを名物にしているところがあるが、なんといっても本場は信州の伊那谷。思い立ったが吉日、東京から中央高速の一気走りで伊那へ。 信州は“盆地の国”。中央分水嶺の北側、千曲川沿いには佐久盆地、上田盆地、長野盆地、飯山盆地と盆地が鎖状につづいている。さらに北アルプス山麓には松本盆地と安曇野盆地が広がる。
中央分水嶺の南側には、諏訪湖周辺の諏訪盆地から諏訪湖から流れ出る天竜川沿いの伊那盆地へとやはり盆地がつづく。これらの盆地を結んで、信州には何本もの峠道が開けている。そんな信州の盆地のひとつ、伊那盆地の伊那に向かった。
中央高速を伊那ICで降り、高台に立って伊那盆地を一望する。
東側には南アルプス、西側には中央アルプスの高峰群が連なり、その間を天竜川が流れている。伊那盆地は「伊那谷」とよく言われるが、“谷”から受けるイメージ以上の広がりがある。ここが日本の馬肉料理の本場になっている。
伊那の市街地に入り、JR飯田線の伊那市駅前の駐車場にバイクを停め、さっそく肉屋を見てみる。駅近くの「板谷精肉店」のショーウインドーで目が停まったが、そこには7種類の肉が並んでいた。
牛ロース(850円)
馬刺し(480円)
馬最上(400円)
馬上(300円)
豚ロース(230円)
豚上(160円)
豚中(130円)
(値段は100g当たり)
なんと7種類の肉のうち、3種類が馬肉だ。
「すごいゾ!」
さすが馬肉料理の本場だけのことはある。
スーパーの肉売り場をのぞいても、やはり馬肉が幅をきかせていた。
「伊那谷の人たちは、それは馬肉が好きですよ。馬刺しは大好物だし、すき焼きといえば馬肉。ふだんの家庭料理でも、煮つけにはよく馬肉を使います。コロッケやメンチカツにも馬肉を入れます」
といった話も聞いた。
伊那の中心街をプラプラ歩く。
川魚店の店先にずらりと並んだ川魚類の甘露煮を見たり、伊那名物のハチノコやザザムシ、イナゴを売る店を見たりして伊那市駅前に戻った。
歩いて腹をへらしたところで、馬肉料理だ。
「板谷精肉店」に隣りあった焼肉店の「いたや」に入り、馬肉三昧の食事をした。
まっさきに「馬刺し」を食べた。
うす切りにしたロースを生のまま、ショウガ醤油につけて食べるのだが、クセがなく、さっぱりとした味わいで、ツルツルッとソバをすするかのように1皿、あっというまに食べてしまった。故郷を離れた伊那人の一番恋しがる味が馬刺しだということも、この本場の馬刺しを食べてみるとよくわかる。
次に「おたぐり」を食べた。
おたぐりというのは、馬のもつをぶつ切りにし、長時間、煮込んだもの。くさみは消えてやわらかくなっている。
馬の腸はとびきり長いものだが、それをたぐり寄せ、たぐり寄せして取り出すところから「おたぐり」の名がある。おたぐりは食材にするまでが大変だ。取り出した馬の腸をたんねんに水洗いし、包丁でその表面をこそいで脂分を取り除く。さらにそれを切って2、3時間、流れ水に打たせるのだ。
そして桜鍋でご飯を食べた。
桜鍋とは馬肉のすき焼き。馬肉のことを桜肉ともいう。さらにそのあと、カソリの「鉄の胃袋」をフル稼働させ、馬肉のステーキと、馬肉のハムを食べた。
「いたや」では馬肉料理を全部で5品を食べた。馬肉料理だけで満腹になったとき、あらためて伊那の馬肉食文化のすごさを感じるのだった。
伊那谷では、かつてはどの家でも、農耕馬を飼っていた。現役を退いた農耕馬をつぶして食用にしていたのだ。このように伊那谷では馬肉を食用にしてきた伝統がある。
低カロリー、低脂肪、高タンパク、高グリコーゲンの馬肉は、コルステロール過多の現代人にはぴったりの肉だといわれているが、伊那人は「馬肉は体にいい!」ということを体験的に知っていた。
伊那人は理屈っぽいけれど、頭はいい。
「東京の大学で、石ころをいくつか投げれば、かならずひとつは伊那谷出身の教授にぶつかる」
といわれるほどなのだ。
腰の曲がった婆さんが、当たり前の顔して岩波の『世界』を読んでいたりする。
伊那谷ではかつては養蚕が盛んにおこなわれていた。製糸も盛んだった。
そのような伊那谷だから、まゆ玉を大釜で煮立てて生糸をとったあとに残るカイコのサナギも食用にしていた。伊那谷では“サナギ”といえばカイコのサナギを指すほど。今でもカイコのサナギの甘露煮は、伊那谷名物のハチノコやザザムシ、イナゴなどと並んでここではごくあたりまえに売られている。
ところで養蚕や製糸が盛んだったのは、なにも伊那谷に限らない。だが、日本の他地方ではカイコのサナギを養殖ゴイの餌などにすることはあっても、人間の食用にしているところはほとんどない。カイコのサナギは極めて栄養価が高いのにもかかわらず‥。
それは伊那谷名物のハチノコやザザムシでも同様のことがいえる。
ハチノコはジバチの子だが、伊那谷の業者は遠く東北や中国地方にまでハチノコ取りにでかけている。ザザムシも日本のほかの河川でも生息しているのにもかかわらず、それを人間の食用にしているところはほとんどない。伊那谷ではそのほかにもナラやナギの木の根元にいるゴトウムシやセミの幼虫なども食用にしている。そのため、
「伊那人のゲテもの食い」
とよくいわれる。
その理由としては、
「伊那谷は海から遠く、まわりが山ばかりで貧しい土地だから、何でも食べなくてはならなかった」
と、もっともらしくいわれている。
だが、それは大間違いだ。
貧しい土地だからゲテものを食ってきたのではない。
伊那谷で馬肉料理を筆頭に、種々雑多な動物タンパク源を食用にしてきたのは、伊那人が頭がいいからできたことなのだ。
それに尽きるとぼくは思っている。
それら種々雑多な動物タンパクが体にいいことを伊那人は昔から知っていた。これぞまさしく生活の知恵、食文化への知恵。伊那人の合理的な精神風土からきている。
馬肉料理で満腹になった伊那でぼくは、
「頭のいい人間は何でも食う!」
という食への結論を導き出した。
精肉店でさばかれる馬肉
馬肉の最上肉
馬刺し用のロース
馬の臓もつ
馬刺し
おたぐり
馬刺し、おたぐり、ステーキの馬肉料理3品
馬肉のハ
旧国鉄士幌線コンクリートアーチ橋梁群
老朽化でついに崩壊!?
「300日3000湯」のときに見たタウシュベツ川橋梁
日高の静内をあとにし、国道235号で海岸線を行く。
国道に沿ってJR日高本線が走っている。単線の線路を1両編成の列車が浦河に向かって走っていく。
日高の海を見ながらスズキDR-Z400Sを走らせ、三石の三石昆布温泉「歳三」の湯に入り、浦河に到着。浦河駅は中心街手前の国道沿いにあるが、寂れた感はいなめない。
日高本線はさらに日高の海岸線を走り、様似が終点になる。
当初の計画ではさらに東へ、日高から十勝に入り、広尾で広尾線に接続するはずだった。だが、「様似⇔広尾」間は未開業のままで終った。
浦河からは国道236号を行く。日高山脈を全長4232メートルという北海道最長の国道トンネルで抜け、十勝に入っていく。広尾に近づくと、風景は一変し、目の前には大平原が広がっている。
広尾に到着すると、1987年に廃線となった広尾線の終着駅、広尾駅まで行く。鉄路こそ消えたが、今はバスターミナルになっている。
広尾線は「帯広⇔広尾」間の84キロの路線だったが、1967年から1975年までの間は帯広で士幌線に乗り入れ、糠平までの臨時急行「大平原」が走っていたという。
帯広からは国道241号で上士幌へ。十勝の桁外れに広い平原を行く。そして上士幌からは273号でその糠平へ。平原から山中に入った糠平の周辺に北海道遺産になっている旧国鉄士幌線のコンクリート製アーチ橋梁群がある。
その中でも何といっても目玉はタウシュベツ川橋梁だ。
さっそくタウシュベツ川橋梁が見られる地点まで行ったが、そのときの驚きといったらない。
何と跡形もなく、きれいさっぱりと消え去っているではないか…。
「どうして、どうして…」と思わず声が出た。
2006年~2007年の「300日3000湯めぐり」のときは幌加温泉、岩間温泉に入ってここに来たが、ローマの水道橋を思わせる橋梁の美しさにはしばらくは見入ってしまった。その橋がなくなっている。
かなり老朽化が進んでいたので、きっと崩落したのだろうと自分勝手に想像し、糠平に戻った。
そこで地元の方に話しを聞いて納得。人造湖の糠平湖が増水し、タウシュベツ川橋梁は湖底に沈んだのだという。謎が解き明かされて、すごくほっとした。湖底に沈んだのでは仕方ない。気持ちが楽になったところで、タウシュベツ川橋梁の変わりに、国道沿いの三ノ沢橋梁を見に行った。
十勝の大平原
タウシュベツ川橋梁は水の中…
三の沢橋梁
次は鉄道で北海道一周を…
ぼくが初めて北海道を一周したのは1978年。
我が「30代編日本一周」のときのことで、そのときはまだ北海道の鉄道はほぼすべての路線が健在だった。
50㏄バイクのスズキ・ハスラー50を走らせての「北海道一周」だった。全泊野宿という超貧乏旅行で、興浜南線の栄丘駅や深名線の母子里駅といったローカル線の駅舎を使わせてもらって駅泊したこともある。
栄丘駅ではオホーツクの波の音を聞きながら眠った。
母子里駅では9月とは思えないような寒さに震えて眠った。
話は横道にそれるが、1978年というのは大変な年で、母子里では2月27日に氷点下41.2度を記録し、日本の最低記録を打ち立てた。8月3日には山形県の酒田で40.1度を記録した。その直後に酒田を走ったが、アスファルトは溶け、センターラインがグニャグニャに曲がっていた。そのようなこともあったので、母子里駅で寝たときは「日本という国は夏と冬では82度もの差があるんだ!」と感動したものだ。
「30代編日本一周」のときに立ち寄った深名線の蕗ノ台駅
ぼくは鉄道も大好きだ。
そのときはバイクで北海道をまわりながら、「この旅が終ったら今度は鉄道で北海道をまわりたい!」と心底、思った。だが、それはかなわぬ夢で終った…。
あのとき、それができていたら…と、今すごく悔やまれる。
1985年の興浜南線、興浜北線、美幸線を皮切りに、1987年の広尾線、士幌線、羽幌線…など、その後、次々と北海道の鉄路は地図上から消えていった。そのスピードはあまりにも速かった。
当時(1980年)の鉄道地図を見ながら、ぼくはあらためて悔しさをかみしめている。
1980年の北海道の鉄道地図。ほぼ全線が健在!
モール泉
冷えた体には、温泉が一番
大平原の広がる十勝では、モール泉で知られている十勝川温泉の「ホテル十勝川」に泊まった。
すでに夜になっていたが、予約無しで、飛び込みで行ったのにもかかわらず、快く泊めてもらえた。さらに夕食まで用意してもらえた。平日の夜ということもあるのだろうが、何ともありがたいことだった。
さっそく大浴場のモール泉の湯につかる。入浴客は自分一人。大風呂を独り占めにして湯につかる気分はたまらない。
10月中旬の十勝の平原は日が落ちてからというもの、急激に気温が下がり、体は芯まで冷え切っていた。それが琥珀色の湯につかった瞬間、いっぺんに体があたたまる。
この温泉効果のすごさ。バイクで冷え切った体をあたためるには、温泉が一番だ。ストーブにあたっても、部屋に暖房を入れてもこうはいかない。
湯から上がると、楽しい温泉宿の夕食。カキ鍋、サケの煮魚、煮もの、刺身、茶碗蒸し…といった食事をおいしくいただいた。
夕食後、すこし時間をおいてモール泉の湯に入る。今度は時間を気にすることもなく、じっくりとゆっくりと湯を味わって入る。
泥炭層から湧出するモール泉。肌になめらかな、やわらかな湯。植物性モール(泥炭)の有機物を多く含んでいる。そんな湯が肌を通して体内に入ってくるような気分。いつまでも暖かさが残り、その夜の快眠といったらなかった。
ぼくは目覚めてすぐの朝湯が大好き。湯につかった瞬間、体の全細胞が活き活きとしてくる。この朝湯の温泉効果の大きさには計り知れないものがあると思っている。世界の名湯、モール泉だからなおさらのこと。
朝湯から上がると、十勝の平原に朝日が昇った。
朝湯効果と朝日効果の相乗効果で、体内には新たな力が湧きあがってくる。
朝湯に入ったあとで食べる朝食のうまさは格別。食が進む。ご飯を2杯目、3杯目とおかわり。そして満ち足りた気分で、「ホテル十勝川」を出発した。
十勝川温泉「ホテル十勝川」に到着
「ホテル十勝川」のモール泉の大浴場
「ホテル十勝川」から見る十勝の日の出
「ホテル十勝川」を出発
この「モール泉」が北海道遺産になっている。
「ホテル十勝川」の廊下には、「北海道遺産」のマークの入った十勝川温泉のポスターが貼られていた。十勝美人が湯につかっている写真のポスターには、モール泉について、次のように書かれていた。
モール泉は遥か太古の時代より、葦などの自生植物が長い時間をかけて堆積した亜炭層から湧出する温泉。植物性(モール)の有機物を多く含み、肌への刺激が少なく、一般の温泉にくらべ天然保温成分を多く含むため湯上りの肌はしっとりツルツル。そんな効果を実感できる美人の湯として知られています。
2006年から2007年にかけて、日本の温泉の「3000湯めぐり」をした。そのときに入った十勝の「モール泉めぐり」を紹介しよう。
しほろ(士幌)温泉「プラザ緑風」の朝湯に入る。大浴場&露天風呂ともにモール泉。露天風呂の方が色が濃い。しほろ温泉を皮切りに、今日は十勝のモール泉地帯の温泉をめぐっていく。
朝湯から上がると朝食。食堂でのバイキング。グレープフルーツジュースを飲み、サラダを食べ、朝粥を1杯食べ、そのあと各種料理をおかずにご飯を2杯。刺身が大好きなので、朝からイカ刺しつきなのがうれしい。
9時15分、出発。ひんやりとした朝の空気を切り裂いてスズキDR-Z400SMを走らせる。
第1湯目は山の湯温泉「清渓園」(入浴料300円)。ここはしほろ温泉のすぐ近く。9時20分には到着したが、うれしいことに10時前でも入れた。大浴場の内風呂のみ。大風呂のモール泉の湯にどっぷりつかる。朝一番で入る宿の朝湯もいいが、第1湯目で入る温泉もすごくいいもので、湯につかりながら思わず口元がほころんでくる。
パークゴルフ場が隣接しているが、北海道の温泉の多くはパークゴルフ場とセットになっている。昔ゲートボール、今パークゴルフといったところか…。
山の湯温泉から士幌へ。
士幌からは国道241号を南下し帯広方向へ。
第2湯目は国道241号沿いの「帯広リゾートホテル」(入浴料400円)の湯。大浴場の内風呂のみ。ここもモール泉。浴室の壁一面に富士山が絵が描かれている。ここはまさに十勝平野のど真ん中。平原の湯だ。
ここもパークゴルフ場が隣接している。
国道241号をさらに南下し、帯広近郊の市街地に入っていく。
第3湯目は音更温泉「鳳乃舞」(入浴料380円)。大浴場と露天風呂。モール泉で黄色っぽい湯の色をしている。
第4湯目は木野温泉(入浴料600円)。大浴場と露天風呂。ここもモール泉で、かなり濃い湯の色。こげ茶色をしている。
十勝川にかかる十勝川大橋を渡れば帯広市内だが、その手前で左折し、道道73号で十勝川温泉に向かっていく。
その途中の丸美ヶ丘温泉「丸美ヶ丘温泉ホテル」(入浴料300円)が第5湯目。大浴場の内風呂のみ。2つの源泉はともにモール泉で、大風呂はチョコレート色、小風呂は黄緑色の湯。
第6湯目は筒井温泉。高層の温泉ホテル「十勝川国際ホテル筒井」(入浴料500円)の湯に入る。大浴場と露天風呂。ともにモール泉で湯量豊富。渓流を見下ろす露天風呂は見事な岩風呂で、内風呂よりも湯の色が濃い。
第7湯目は十勝川温泉。「ホテル十勝川」(入浴料350円)に入る。大浴場の内風呂のみ。大風呂のモール泉にどっぷりつかる。モール泉の本場、十勝川温泉だけあって、きれいな琥珀色をした湯だ。
十勝川温泉を最後に帯広へ。ここまでが十勝川北側一帯の温泉めぐり。しほろ温泉から十勝川温泉までで入った温泉のすべてがモール泉。十勝平野はまさに「モール泉地帯」。(略)
帯広から国道38号で釧路へ。
まずは帯広近郊の温泉をめぐる。
第8湯目はオベリベリ温泉。「水光園」(入浴料390円)の湯に入る。大浴場と露天風呂はともにモール泉。露天風呂には長方形と円形の2つの湯船がある。
第9湯目は札内温泉。札内川にかかる札内橋を渡ったところで左折し、しばらく行ったところにヨーロッパの古城風な造りの「札内ガーデン温泉」(入浴料900円)がある。大浴場と露天風呂はともにモール泉。
第10湯目は札内駅の近くで国道38号を右折していく幕別温泉。「悠湯館」(入浴料480円)の湯に入ったが、大浴場と階上の露天風呂はともにモール泉。しほろ温泉を含め、ここまで11湯連続のモール泉だ。
(略)
第11湯目は清見温泉。池田の市街地に入り、JR根室本線の線路を渡った先にある。大浴場の内風呂のみで、塩分の濃いにごり湯。清見温泉の湯につかっていると、
「あー、十勝のモール泉地帯が終った…」
という実感がした。
「300日3000湯」でつかったモール泉
しほろ温泉「プラザ緑風」の湯
山の湯温泉「清渓園」の湯
筒井温泉「十勝川国際ホテル筒井」の露天風呂
十勝川温泉「ホテル十勝川」の湯
螺湾ブキ
残念、冬枯れの風景に
帯広駅前を出発し、スズキDR-Z400Sを走らせ、国道241号を北上する。
士幌を通り、上士幌へ。
ここまでは北海道遺産、旧国鉄士幌線の「コンクリートアーチ橋梁群」への道と同じだ。
「コンクリートアーチ橋梁群」は上士幌から三国峠に通じる国道273号に入っていくが、今回は2本の国道の交差点を直進し、そのまま国道241号を行く。
目指すは足寄町の螺湾。
そこに自生している日本一の大ブキ、高さが2~3メートルにもなる「螺湾ブキ」が北海道遺産に指定されている。
帯広から上士幌までも寒かったが、上士幌から足寄まではもう地獄。もっと寒い…。
その日は10月16日。東京は汗ばむほどの陽気だったというが、ここでは10月中旬だというのに朝の気温は0度。東京の真冬並み。
真冬の0度ならまだ我慢できるが、体が夏バージョンのままで迎える0度はあまりにもキツイ。DRで切る風の冷たさは氷点下10度以下の体感温度。かろうじてDRにしがみつき、ゆるやかな峠を越え、足寄の町に入っていった。
あまりの寒さにまったく動けず…。
「セイコーマート」でHOTのカンコーヒーを買い、しばらくは両手で握り、やっと息を吹き返した。
さー、螺湾だ。
足寄からさらに国道241号を走り、螺湾に入っていく。
国道沿いに大ブキが見られるが、予想したこととはいえ、すでに冬枯れの風景。茶色く枯れた大ブキはクターンとして倒れている。
国道241号からオンネトーに通じる道道664号に入ったが、螺湾川沿いのこの一帯も、同じような冬枯れの風景だ。
国道に戻る。
螺湾の国道241号から見る阿寒富士と雌阿寒岳の阿寒の山々はすばらしく綺麗だ。抜けるような青空を背にして新雪が光り輝いている。
「この季節ではどうしようもないな…」
と、諦めの境地で足寄峠を越え、阿寒湖畔から弟子屈に向かっていった。
ぼくは雌阿寒温泉が好きで、また神秘の湖、オンネトーやその先の湯滝にも足を延ばしたことがあるので、足寄から国道241号で螺湾を通り、足寄峠の手前で右折して行ったことが何度かある。それなのに…、螺湾も螺湾ブキもまったく記憶にないのだ。
ところがこうして「北海道遺産めぐり」で螺湾に来てみると、2メートルも3メートルも伸びた「螺湾ブキ」は見られなかったが、「螺湾」は頭にこびりつき、おそらく2度と忘れられないところになることだろう。
今度の夏の北海道ツーリングでは、必ずや、この地に立ち寄ろうという気になった。これが「北海道遺産効果」というものだ。
螺湾ではないが、十勝では国道273号の三国峠下と、太平洋に近い国道336号沿いの大ブキはいまだに目に残っている。
バイク誌の取材で三国峠を越えたときは、路肩に自生する大ブキの葉の下に入り込んで茎をつかみ、それを傘がわりにした写真が誌面を飾った。国道336号の大ブキの自生地で初めてそれを見たときは、「何だ何だこれは!」と思わず声が出た。お化けのような大ブキに度肝を抜かれたのだ。
「カブタンとノンタンの北海道遺産」では、螺湾ブキがどのようなものなのか、じつにわかりやすく描かれている。それを紹介しよう。
3年前に行ってきました。
本当にでっかいフキがたくさん生えていて、見上げるとでっかい葉っぱがうっそうと茂っています。刈り取りも体験させてくれます。刈ると水がジャァ~っと茎から流れ出て、ビックリです。すごい水が通っていることを実感~!
ところでこのラワンブキ、特別な種類のフキではないんです。なぜ、この地区だけ、大きくなるのかは謎!!
水や土壌のせいだと言われていて、ここを流れる螺湾川にはマグネシウムやカルシウムなどミネラル豊富なので、こんなに大きく栄養価満点のフキが生まれているらしいです。だから同じフキが札幌で育つというわけではないんですね。
螺湾川の上流には、エメラルド色に輝く神秘の湖「オンネトゥ」もあります。このエメラルド色もミネラル豊富な証拠なんですって。もう阿寒湖のすぐそばです。ここは北海道の三大秘湖ですよ!
この螺湾ブキ、すごくおいしいんです。こんなに大きいのに、筋が残るわけでもかたいわけでもなし、切るとフキの香りがぷ~んとして、とっても癒されます。普通に煮ても、おみそ汁にしてもおいしい。お料理上手の方はフキの中にお肉などを詰めて煮るとか焼くとか、素敵に料理するようです☆
地元の郵便局では『一本送り』のゆうパックもやっています。…といっても一本まんまだと巨大なゆうパックになってしまうので、一本を切って、葉っぱまでつけてくれるんですって。一本で十分に食べられます。
私、かなり螺湾ブキ好きです。」
カブタンの感性豊かな文章とともに、巨大な螺湾ブキの写真が添えられている。この螺湾ブキの刈り入れは6月~7月。「ラワン蕗羊羹」もあるという。
アドレスV125G Kasori special デビュー
アドレスVで中国大陸も激走!
「広州→上海2200キロ」。上海にゴール!
12月1日から12月12日までの12日間、スズキの125㏄スクーター、アドレスV125Gで「広州→上海2200キロ」を走ってきた。広東省、福建省、浙江省と中国・沿岸3省を駆け抜けたのだが、「アドレス、中国大陸を行く!」といったところだ。
出発点の広州の人口は1500万人。世界第2の工業生産地帯、珠江デルタの中心都市。ゴールの上海は人口1600万人。世界最大の工業生産地帯、長江デルタの中心都市。世界1、2位の工業生産地帯を結ぶ「広州→上海」は、爆発的な経済成長をつづける中国の最前線を見てまわる旅でもあった。
すさまじいばかりの人の動き、物の動き。活気に満ちた町々。続々と生まれる新鋭工場群。高速道路は縦横無尽に延びつづけ、あっというまにアメリカを上回る総延長距離になった。
「今、中国は世界を飲み込もうとしている」
と、そんな印象を強く受けた。
「チベット横断」にひきつづいての、今年2度目の中国ツーリングになるが、「広州→上海」を走ったことによって「今度はアドレスでの中国一周だ!」とカソリ、熱い気分で上海にゴールした。
「広州→上海2200キロ」を走り終え、上海から羽田に飛んだが、東京の空の青さは目にしみた。「東京の空は何て青いんだ!」。羽田に落ちていく夕日はとびきり大きく、赤かった。
爆発的な経済成長は、中国に深刻な大気汚染をもたらした。スモッグに覆われた中国の空。思わず手で口を押さえたくなるほどの息苦しさ。「広州→上海」間では一度として抜けるような青空を見なかっただけに、東京の空の青さがひときわ際立った。
スズキの情報発信基地「スズキワールド新宿」
さて、「広州→上海2200キロ」から帰ると、東京・新宿の「スズキワールド新宿」に行った。
「北海道遺産めぐり」の「北海道一周」で6000キロを走ったDR-Z400Sを引き取りに行ったのだ。
山手通りに面した「スズキワールド新宿」はスズキの新しい情報発信基地。お洒落な店内には発表されたばかりの400㏄のニューモデル、グラディウス400が何台も展示されている。その斬新なスタイルは目を引くし、乗ってみたいと思わせる。
それと目がいったのは、何たって「アドレス」だ。
「おー!」
と、思わず声が出たのはアドレスの冬用バージョン。
グリップヒーターとシートヒーター、ナックルガードのついたアドレスV125GLには、もうビックリなのだが「Kasori SPECIAL」の名前がついている。
| シート高 | 740mm |
|---|---|
| 総排気量 | 124cc |
| 最高出力 | 9.9ps |
| 燃料タンク | 6.0L |
| 定地燃費 | 52.0km/L |
| 価格 | 27万8250円 |
昨年(2008年)の冬、厳しい寒さと戦いながら「北海道一周」を走ったアドレスが「カソリ・スペシャル」となって新登場した。うれしいやら、「これで売れなかったらヤバイな」とプレッシャーがかかるやら…。
厳冬の「北海道一周」。アドレスで地吹雪のオホーツクを行く。グリップヒーターと大型のナックルバイーザー、そしてシートヒーターにはものすごく助けられた
「スズキワールド新宿」の2階には、浜松から移された談話室の「BOYS ROOM」がある。雑誌の写真から抜け出たようなたたずまい。そこで店長の高橋さんとしばしのアドレス談義を楽しんだ。
スズキワールド新宿のショールームの一角に設けられた「BOYS ROOM」
高橋さんに別れを告げ、タイヤを交換し、チェーンやスプロケットなどを交換し、ピカピカになって蘇ったDR-Z400Sで「スズキワールド新宿」を出発。メーターは8万2479キロ。あと1万7251キロで10万キロだ。
「目指せ、10万キロ!」
ガッツポーズで雄叫びを上げ、山手通りを走り始める。
夢が広がる。
さー、何をしようか、これからどこを走ろうか。
DRの前には無限の可能性が広がっている。
摩周湖
神秘の湖
第3展望台から見る摩周湖
足寄から国道241号で弟子屈に向かっていく。前方には阿寒富士と雌阿寒岳が見えてくる。抜けるような青空を背にした山頂周辺の新雪がまぶしい。足寄峠を越え、阿寒湖へ。湖畔に立ち、しばらくはきらめく湖を眺めた。
阿寒湖から弟子屈までは絶好のツーリングコース。雄阿寒岳を間近に眺め、双湖台の展望台からはパンケトウ、ペンケトウの秘湖を見下ろした。
足寄から100キロの弟子屈に到着。天気の変りやすい弟子屈だが、まだ青空が広がっている。「それ、行け!」とばかりにスズキDR-Z400Sを走らせ、国道243号で北海道一の絶景峠の美幌峠へ。
美幌峠に立ったときの感動といったらない。眼下には日本最大のカルデラ湖、屈斜路湖が広がっている。うっそうと樹木に覆われた中島が浮かび、右手には和琴半島が湖に突き出ている。左手には斜里岳がそびえ、正面には摩周岳が頭だけをのぞかせている。峠のクマザサは風に揺れ、カサカサ鳴っている。
国道241号を行く
阿寒湖
弟子屈に到着
美幌峠から屈斜路湖を見下ろす
無料の露天巡り
美幌峠で折り返し、峠を下り、屈斜路湖畔でDRを停めた。
そのあとは温泉めぐり。屈斜路湖畔には無料湯の露天風呂が点在している。まずは和琴温泉。和琴半島のつけ根に混浴の露天風呂がある。熱めの湯。「アチチチチ…」で我慢して湯につかった。第2湯目は古丹温泉。湖畔の湯船は2つに分かれているが、まる見えで混浴同然。ジャスト適温の湯につかりながら眺める屈斜路湖はすばらしい。白鳥が湯船のすぐそばまでやってくる。第3湯目は池ノ湯温泉。その名の通りの温泉。混浴の湯船は池のような広さ。若干、温めの湯で、藻が体にからみついてくる。
屈斜路湖畔のこれら3湯の無料湯を楽しんだあと、砂湯、仁伏温泉、川湯温泉と通り、国道391号に出た。


屈斜路湖畔で
和琴温泉
古丹温泉
池ノ湯温泉
さー、北海道遺産の摩周湖だ。
JR釧網本線の川湯温泉駅を過ぎたところで国道を左折。道道52号で摩周湖へ。
摩周湖といえば「霧の摩周湖」で知られているが、屈斜路湖では晴れていても、摩周湖は曇りだったり、霧ですっぽり包まれていることがよくある。いままでに何度か摩周湖には来ているが、湖を見られたのは2、3割程度の確率でしかない。
この日も美幌峠では快晴だったが、摩周湖の第3展望台に立ったときはかなり雲が出始めていた。それでもカムイヌプリ(神の山)の摩周岳ははっきりと見えていた。
摩周湖といえば世界有数の透明度を誇る湖で、最大水深は212メートル。1931年の測定では透明度は41.6メートルで世界一だった。それが現在では20メートル前後。ちなみに世界一はバイカル湖で透明度は最大40メートル。
摩周湖は屈斜路湖同様、カルデラ湖で、そそり立つカルデラ壁の高さは300メートルにも達する。
東岸には中央火口丘の摩周岳(857m)がそびえている。この山はまさに神の山。登ったまま帰らぬ人が何人もいるという。摩周湖には流れ込む川はないし、流れ出る川もない。そんな神秘感の漂う湖を見下ろしていると、スーッと吸い込まれそうになる。
30代編日本一周
1978年の「30代編日本一周」では裏摩周の湖畔に下った
摩周湖で一番心に残っているのは、何といっても「30代編日本一周」(1978年)で行ったときのことだ。
第1展望台、第3展望台に立ったが、湖どころか、ほんの数メートル先も見えないような濃霧だった。
「何としても摩周湖を見るんだ!」
と、国道391号で野上峠を越え、峠を下った札弦から道道115号で清里峠へ。当時の峠道は全線、ダート。そこから裏摩周に行った。
裏摩周の展望台も霧ですっぽりと覆われていたが、バイクを停めて急崖の山道を歩き、湖畔まで下ると霧は晴れた。幅の狭い砂浜があり、そこですっ裸になり、湖に飛び込んだ。9月上旬のことだったが、湖の冷たさといったらなかった。
あの時のキリリッとした摩周湖の冷たさは今でもぼくの肌に残っている。
さらば2009年よ!
みなさ〜ん、いよいよ2009年も残すところはあとわずかになりましたね。ぼくは今、DRーZ400Sを走らせてのハーブデーツーリングの最中です。大山がよく見えています。久しぶりにゆったりとした年末を過ごしています。今年はDRでは東北の林道を全部で50本走り、「北海道遺産めぐり」の「北海道一周」では6000キロを走りました。DRよ、来年も頼むぞ。ということで、みなさんもどうぞ良い年をお迎えください。2010年もカソリ、日本を世界を駆けめぐります。
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