Archive for 11月 16th, 2009
五稜郭と箱館戦争の遺構
新日本統一、最後の激戦地
函館駅前からは「北海道一周」の愛車、スズキDR-Z400Sを走らせ、五稜郭へ。その入口には、次のように書かれた案内板が立ていた。
さすが官軍の流れを引き継ぐ国の書いた案内板らしく、榎本武揚らは「旧幕府軍」ではなく、「旧幕府脱走軍」になっている。
徳川幕府が倒れ、新政府が発足してからというもの、旧幕府軍の抵抗は強かった。そして新政府軍対旧幕府軍の戊辰戦争が勃発。日本は16ヵ月にも及ぶ内戦に突入した。その皮切りとなった鳥羽・伏見の戦いで破れた旧幕府軍は敗走をつづけ、その最後の地が箱館(函館)になる。榎本武揚を中心とする旧幕府軍は江戸港から8隻の軍艦とともに箱館に入り、五稜郭を占拠して新政府軍と戦ったが、敗れさる。
箱館戦争の終結は明治2年(1869年)5月17日。
この日をもって日本は再統一され、新生日本が誕生した。函館はそんな日本の、大きな転換点となった歴史上の舞台。
箱館戦争に欠かせない新撰組の土方歳三は仙台で榎本武揚と落ち合い、箱館に入ったが、明治2年(1869年)5月11日、箱館の一本木関門で戦死した。
箱館戦争で戦死した官軍の兵士たちは、函館山の麓にある護国神社に祀られている。立派な神社で、函館山を背に聳えるように建っている。鳥居も大きい。ところが箱館戦争で負けた旧幕府軍兵士の遺体はそのまま放置されたという。まさに「勝てば官軍、負ければ賊軍」。函館山の麓の「碧血碑」は、土方歳三をはじめとするそんな旧幕府軍の戦死者816名の慰霊碑だ。
一方の榎本武揚は生き延びる。戦後、明治政府の高官になり、外務大臣や文部大臣、農商務大臣などを歴任し、明治41年(1908年)に73歳で死んだ。土方歳三と榎本武揚、2人の人生はあまりにも対照的。
さて五稜郭だが、堀を渡って藤棚をくぐり抜け、城内に入ると広い市民公園になっている。子供たちの遊具もある。そんな城内の一角には五稜郭を設計した蘭学者、武田斐三郎の碑がある。
五稜郭の中央部では、箱館奉行所の庁舎復元工事の真っ最中。来年には完成するという。箱館奉行所は函館山の麓にあったものが、開港後、移されたという。五稜郭というのは箱館奉行が蝦夷地を統治するために、役所を新築する敷地として造られた城郭ということになる。
この箱館奉行所の完成は何とも楽しみ。そのときにはまたぜひとも函館に来てみたい。きっと函館観光の新たな目玉になることだろう。
ところで「五稜郭と箱館戦争の遺構」だが、「カブタンとノンタンの北海道遺産」ブログには詳細に描かれている。
「旧幕府軍が蝦夷地に上陸したのは明治元年10月21日。箱館奉行所があった五稜郭に進軍し、五稜郭を占拠したのが10月26日。その先、松前藩を打ち破り、蝦夷地を手にしたのが12月15日。あっというまに『蝦夷共和国』が生まれる勢い!」
といった具合でシリーズになっている。
みなさん、ぜひとも「カブタンとノンタンの北海道遺産」は見てください。カブタンは我が北海道遺産の師です。
城内は公園、子供たちの遊具も設置されている
五稜郭を設計した蘭学者、武田斐三郎の碑北海道のラーメン
函館、釧路、旭川、そして札幌ラーメン
函館ラーメン 五稜郭から函館駅前に戻ると、再度朝市を歩き、「どんぶり横丁」のラーメン専門店「しお家」で「塩ラーメン」を食べた。店の主人は「函館ラーメンは何たって塩ラーメンでしょ!」といっていた。それで店名が「しお家」なのか。店の主人が自慢するだけあって、ほどよい塩加減のスープは絶品。それと余談になるが、ここでは塩ラーメン&ライスを食べたのだが、ライスがうまかった。北海道というと、ご飯がまずい(北海道のみなさん、失礼!)というイメージがあるが、それが今回、ここのみならず、おいしいご飯をあちこちで食べた。新米が出回る時期という季節的な要因があったのかもしれない。
ところでラーメンが北海道遺産になるところが、いかにも北海道らしい。
「札幌ラーメン」は別格として、「函館ラーメン」、「釧路ラーメン」、「旭川ラーメン」がその御三家になっている。
さ、ラーメンの食べ歩きだ。
釧路ラーメン釧路では釧路駅前に到着すると、和商市場に直行。まずは名物海鮮丼の「勝手丼」を食べ、そのあと和商市場内の食堂「和幸」で「カニ足ラーメン」を食べた。名前に偽り無し。カニ足がゴソッと入っていた。コーンもたっぷり。さすが和商市場。
旭川ラーメン 旭川では「旭川ラーメン」を食べ歩いているカブタンに案内してもらい、「蜂屋」で食べた。豚骨と魚のダブル味スープ。縮れ麺。「麺の加水率を少なくして、麺とスープがすぐからむようにしてあるのが、旭川ラーメンの特徴ね」とカブタン先生にはラーメンをすすりながら教えてもらった。
このあとカブタン夫妻と旭川の繁華街にある「梁山泊」という店で鹿肉の燻製、アイヌネギのおひたし、熊肉のステーキ、若鶏の新子焼、チャップと旭川ならではの料理の数々を肴におおいに飲んだが、カブタン先生には最後、ピシッといわれた。
「ラーメンはほんとうは最後に食べるものなのよ」
ご当地ラーメンの先駆けが札幌ラーメンだ
札幌ラーメン「札幌ラーメン」は札幌一の繁華街、すすきのにある「ラーメン横丁」で食べた。一番手前の店、「華龍」で「コーンバターラーメン」を食べた。味噌ラーメンのコーンとバターの取り合わせが、いかにも「札幌ラーメン」らしかった。
「ラーメン横丁」には何年か前にバイク誌の取材で来たことがある。その時の記事を紹介しよう。
人がやっとすれ違いできるほどの路地の両側には、ずらりと「札幌ラーメン」の店が並んでいる。その数は17軒。
で、どの店に入ったかというと、「ラーメン横丁」でも一番歴史の古いといわれている「正楼閣」。
「正楼閣」では、店長の前田義幸さんおすすめの「バターコーンラーメン」を食べた。
麺の上にはバターとコーンがのっている。バター、コーンともにボリューム満点。このボリューム感こそ北海道。そのほかの具といえば、チャーシュとモヤシ、ネギ、メンマ、それとワカメ。北海道産の上質なバターをスープに溶かし込んでいくと、味にグッと深みが出てくる。
「これが札幌ラーメンか!」
と思うような味の深み。
前田さんは徹底的に北海道産にこだわっているが、北海道産コーンのほのかな甘味が口に残り、空知の栗山産ネギが味に強いインパクトを与えている。
バターとコーンがこれほどラーメンに合うとは…。
白味噌をベースにしたスープはコトコト煮つづけた豚骨でダシをとっているが、「豚骨ラーメン」のように白くならないように、煮過ぎないようにとすごく気を使うとのこと。この味噌味こそ「札幌ラーメン」の「札幌ラーメン」たる所以といっていい。
麺は中太、硬めの縮れ麺でしっとりしている。黄色味が濃い卵麺。麺のうまさが「札幌ラーメン」の大きな魅力にもなっている。
「札幌ラーメンは麺自体の味を楽しんでもらうもの。旭川ラーメンは麺にスープの味をしみ込ませ、それを楽しんでもらうもの」
という前田さんの言葉が印象深い。
「札幌ラーメン」は頭に地域名のついた「ご当地ラーメン」のまさに先駆け。
と同時に、日本中で最もよく知られつづけているご当地ラーメンだ。
「札幌ラーメン」の出現は終戦後のことで、中国から引き揚げてきた人たちが、「すすきの」あたりに屋台を出したのがはじまりとされている。
「正楼閣」の前田義幸さんの場合も2代目で、父親が30年前にラーメン屋をはじめたという。
「札幌ラーメン」の一番の特徴の味噌味は、店でラーメンも出す、豚汁も出すということで、両者が一体化したのがはじまりだという。
「札幌ラーメン」が全国的に受けたのは、この味噌味によるところがきわめて大きい。
それともうひとつは、あの脂っこさ。
戦前までの日本人にとってのラーメンは、淡白な、さっぱり味の「支那そば」が主流。家庭でも製麺屋で麺を買い、支那そばをつくっていた。それがラードをたっぷり使って炒めたモヤシをたくさん入れたり、具を多様化させたり、より脂ぎったスープにすることでラーメンは家庭料理を離れ、一気に外食料理の花形になっていった。
その意味で「札幌ラーメン」は、日本の食文化をガラリと変えたといっても過言ではないのである。
「北海道遺産めぐり」の「北海道一周」では、「札幌ラーメン」&「御三家ラーメン」のほかにも、北海道の各地で食べた。苫小牧の「ラーメン&寿司セット」はユニーク。石北峠のラーメンは山菜入り。宗谷岬のラーメンはモズク入り。稚内の「大漁ラーメン」は北海の海鮮ラーメン。熊石のラーメンは町中の「なべさん食堂」で食べた「塩ラーメン」だが、なつかしの心にしみる味だった。
苫小牧の寿司セット
石北峠の山菜ラーメン
宗谷岬のモズクラーメン
稚内の大漁ラーメン
熊石の塩ラーメン
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